2004-04-02
十代の声から NO 751
何処の街角でも見られるパラソルが突然に凶器となり、人命を奪ってしまうとは衝撃の出来事。テント設営の多い我々葬儀社は強風が何より恐ろしく、寒々とした思いでその報道を見ていた。
過去、現在、未来という言葉があるが、最近のニュースを見ていると、現在とは一瞬にして過去となってしまう恐ろしさを秘めている。
爛漫と先誇る桜の花が一輪一輪と散りゆく風情に・・・ この季節、そんなナレーションを創作することがあるが、こんな言葉は自然死を迎えられた場合にしかマッチせず、突発的なご不幸でのナレーションでは問題が。
送り方も様々、送られ方も色々だが、死を迎える時は「往生」の言葉のように、「静かに眠るが如く、看取られて」とありたいものだ。
さて、昨日の産経新聞朝刊「談話室」に、「長さんの姿を心に残したい」と題された投書があった。
この日の特集は「十代の声」となっていたが、これを書かれた「豊田 薫」さんという中学生、14歳とはとても思えない内容に感銘を受け、ここにその一部を披露させていただく。
『いかりやさんの家族、友達、仲間、そして多くのファン。いかりやさんは多くの人とかかわっていた分、死は多くの人の悲しみを呼んだ。愛される芸能人だった。
人が死ぬのは大嫌い。人はいつかは離別していつかは離別していくものだけど、死別は一番残酷だと思う。生きている以上、避けて通れる道ではないから、この世で最もつらいと思う。
死がお互いを分け隔て、残された者は寂しさに泣き悲しむ。しかし残された者は、悲しみを必ず乗り越えないといけない。
その先にある未来を亡くなった人とは歩けないけど、その人の思い出を胸に抱いて歩くことができる。それは悲しみを和らげて、喜びに変えると思う。
いかりやさんの演じている姿がすごくすてきだと思ったことを、いつまでも心に残しておきたい』
いかがだろうか、こんな文章表現が出来る中学生のご両親、きっと素晴らしい命の教育をされて来られたのだろうと想像するが、この文章を読みながら、ふと「日本トータライフ協会」HPに記載されている数々の言葉を思い出した。
我々の趣旨に共感共通することが多くある。葬送のプロ達がHPで伝えていること、それを中学生がここまで訴えている。
「命って?」「葬儀って?」 そんな回答につながるヒントがいっぱいある中学生の言葉、それは、今の大人たちが学ばなければならないことではと感じ入った次第である。