2004-03-27
人生表現 NO 745
80年間の人生の幕を静かに閉じ逝かれた方、その生い立ちや「人となり」を語るとなれば簡単ではない。
通夜が行われ、次の日の葬儀が一般的に1時間で行われる。必然として宗教者の存在があるが、葬儀終了時の謝辞やお柩を開けて「お別れのひととき」が行われることを考慮すると、開式から閉式まで45分という限られた時間しかない。
80年間の歴史からすると「点」のような時間、それがあたりまえのようになっている現状の葬儀に強い疑問を抱いている。
子供の死や、幼い子供を残された方の悲しい葬儀。それは、会葬者という第三者の存在があるからご出棺が可能だと言われているが、悲嘆にくれられるご遺族がご出棺を納得されるまで待つ「時代」が来て欲しいとの強い思いも抱いている。
大切な方の、大切な儀式に、大切な宗教者の存在がある中でナレーションを担当するが、そこでの4分、5分は僭越で貴重な時間を頂戴していると意識したい。
そんな短い時間で他人の人生をどのように表現するべきか? それらはこれまでの体験でいつも悩んできたことであり、現状の葬儀のあり方では、これからも続く不変のテーマになるだろう。
過去に14分間というナレーションを創作したことがあった。ナレーターは私と女性スタッフの掛け合い。編集制作した追憶ビデオを大型スクリーンで放映しながら「生」で進めたが、参列者には意外に抵抗感がなく、人生ドラマを見ていたようで長いというお声はなかった。
しかし、会葬者全員が着席可能な式場で、駐車禁止の心配もないホテルという空間だからこそ可能だったもの。これが、参列者の大半が式場外の仮設テントであれば絶対に出来ないし、暑い寒いとなればとんでもないことになってしまう。
大規模葬の場合、参列者の人数が把握出来ない場合もある。予定した椅子席が満席になり、後方に人があふれ、廊下にまではみ出てしまうことも想定しなければならない。
こんな際、追憶ビデオを3種類ぐらい創作しておき、それぞれのナレーションも用意することが大切。
「現在、1700名様です。どんどん来られています。2000人を超す勢いです」 スタッフからそんな情報を把握し、参列者の表情を拝見しながらバージョンを決定するのもプロデューサーの重要な仕事である。
短時間で「人生表現」なんて不可能だが、多くの取材からご性格や人柄を把握し、生前のエピソードをドラマチックに創作する世界は、プロ冥利に尽きる遣り甲斐のある仕事。
最近、葬儀に於ける個性化、多様化ニーズが高まってきているが、その中で「人生表現」に対する思いは想像以上に強いもの。葬儀社が「人生表現」という言葉 を前面に押し出してきている時代にもなっているが、ふと「人生表現」でページ検索をしてみたら、494000件も登場したので驚いたが、弊社がトップに あったのはただびっくり。
人生のご終焉の儀式を「ゆっくりと」、そんな思いを凝縮して「かたち」にすると、葬儀式は宗教者と家族だけでの家族葬。そこから30分から1時間後に参列者を迎える告別式が歓迎され、葬儀式と告別式の分離が急速に求められてくるだろう。
「おばあちゃん、楽しい思い出を有り難う」 そんなお孫さんのお別れの言葉も大切だ。業者任せや他人任せの葬儀、それが終わりを告げようとしている兆しを感じている。