2004-02-25
??本1本?さようなら NO 712
深夜に2件のご不幸のお電話があった。
1件は遠方の旧家で、お通夜と葬儀は私が司会を担当するが、もう1件の方は、お気の毒な「検死」のケース。これで、今年になってからの検死が10件を超えるという異常な状況となっている。
さて、スタッフがご遺族から拝聴してきた思い出話、その取材ノートからお一人のための葬儀を構築するが、お好きだった色や花からご好物、またテレビでお好 きだった番組などを伺うと「お人柄」がある程度見え、祭壇デザインやカラーリングがマッチすると喜んでくださるものである。
設営が完成しても、ご遺族側に初めてご覧いただくまでに大切なことがある。それは、構築プロデュースのコンセプトの説明。サービスとは一方通行的なお仕着せでは完成せず、ご納得に至るまでのプロセスを重視したい。
男性や高齢女性の場合、取材ノートの中に「お酒」の項目が存在している。晩年のお楽しみであったお酒の銘柄を伺う訳だが、最近、多くなってきているのが「焼酎」の登場。ビールや日本酒をはるかに超えるパーセンテージ。こんなところにも世の中の変化が感じられる。
参列者の中には、故人とお酒を酌み交わされた方も多くおられる筈。その方々が「そうだったな」と思い出されるような言葉の演出、そこにナレーション創作の 苦労と妙味があるが、司会者の皆さんには、秘められた取材なくしてご満足に至るものではないと知って欲しいものである。
多くの葬儀社が派遣司会者を利用しているが、開式の1時間前ぐらいに式場にやって来る司会者は単なる進行係。
これまでに、そんな司会者の指導を何百回とやってきたが、その時に徹底的に教え込んだのは「ご遺影」との対話。祭壇に飾られたご遺影に手を合わせ、そっとその方の人生を想像する。
ご遺影は、きっと何かを伝えてくださるもの。そこから遺族の皆さんとの会話で思い出話を拝聴するが、そのご遺影が「いつ、何処で、誰と、誰が」撮影されたぐらいは情報入手をしたいもの。それなくして葬儀の司会者なんておこがましい。
数年前、東京で大規模な葬祭フェアが開催され、司会をテーマに400人の方へ講義をしたことがあるが、その時の冒頭、「1時間の葬儀を1件担当して疲れる司会者は挙手を?」と言うと、5人しか手が挙がらなかった。
「今、手を挙げられた方が司会のプロです」と発言したが、それ以外の司会者の皆さんは<1件の葬儀で疲れてどうするの?>と思っていたのだろう。
私は、猛烈に疲れる。それは、完全主義という性格からかも知れないが、人生終焉の儀式に携わる責務の大きさを認識しているからであり、社葬やホテル葬を終えた瞬間に虚脱感に襲われるのはその影響からでもある。
ご家庭の葬儀を担当する。導師が重要な儀式に入られ焼香をされる。そこで上がる香煙を確認するとホッとする。そこで火種が消えていたら<どうするの?>。そんな恐怖感が神経を磨り減らす。
神経性胃炎、高血圧、そんな職業病もお友達。しかし、最近、髪が薄くなりつつあることだけは予想外だった。寂しいですね?
今から、明日の葬儀のナレーションを創作する。