2004-01-22
寂しい話ですが NO 677
朝、事務所に行くと「おつとめ、終わってきました」と、僧衣姿の社員が帰社してきたが、その姿、流石に本物だけに絵になっており、共に行っていた女性スタッフが「カッコ良かったです」と言っていた。
そんな彼、着替えて「お骨あげ」に随行したが、ご遺族は、さぞかしその変貌振りに驚いておられたものと拝察する。
さあ、式場にと車に乗りエンジンを掛ける。ふと見た外気温を表すデジタル数字が「マイナス1度」。身も心も悴むような真冬日、式場に着いてすぐに「参列者を出来るだけ式場の中に」と命を出した。
やって来られた会葬者が震えておられる。そんな時間に折悪しく雪が舞い吹雪になってしまった。
「お手持ちのコート、どうぞお召しください」
そう言って女性スタッフが動き回っているが、儀礼的慣習が作用するようでなかなか行動に移されないのも現実。そこで、その旨を伝えるアナウンス一発で解決させるテクニックが役立った。
さて、数日前から書いている「世の中は、様々」だが、また、新たな問題が発生した。
福祉葬儀をされた方の親戚さんから「お寺さんのことで困っているのです」という電話があった。
確認のうえ、俗名で進められたその葬儀、戒名をご要望されたら次のようにおっしゃられたそう。
「六字だったら無料、七字だったら30万円ですが、六字の場合は月参りに5000円。七字だったら2000円です」
そのご判断やご意見については「独り言」をご訪問くださる皆様にお任せするが、「お布施って、気持ちですよね?」と言われたら「そうです」としか答えられず、こんな相談を受けた我々がどんな心労を抱くかご理解いただけるだろう。
多くの相談の電話が掛かってくるが、その大半が仏事のしきたりやお布施の金額。こんな電話が我々に掛かってくる現実は、お寺と檀家のコミュニケーション欠如の結果。説教は上手いが、納得をさせることが上手くないお寺さんが多いよう。
そんな「ハザマ」で苦慮する葬儀社の立場が、なんと低次元な仕事だろうと寂しくなる。
昔、福祉葬儀に来られた若いお寺さんが嫌な表情を見せられた時、「失礼な比喩で恐縮ですが、タクシーの運転手さんの心境を考えてください。長距離もワンメーターもあるではないですか」と、失礼なことを言ってしまったことを思い出した。
こんなことばかりを書いていると、きっと「悪い?」お寺さんから嫌われるだろうが、私のお付き合いするお寺さんには立派な宗教者が多いのも事実。だから、ここまで書くことが出来る。
過去にベストセラーになった塩月弥栄子さんの「冠婚葬祭」で表記され、強い抵抗感を抱いた「読経料」。お布施が「料」になってしまったら情けない。そんな思いを抱く日となった。