2003-09-24
失礼申し上げました。 NO 556
葬儀に関するセミナーや講演で、意外に受ける話を紹介しよう。
クリスチャンでの「神父さん」「牧師さん」の敬称がややこしく、咄嗟に声を掛ける場合に間違ってしまうことがある。
カソリックは「神父さん」。プロテスタントは「牧師さん」と丸覚えをしていても間違うのだから始末が悪い。
そこで、新人スタッフに「プロボクシング」と覚えろと教えている。「プロ」と「牧」とつながれば、尊称の誤りが未然に防げることになる。
さて、先日、ある牧師さんとお話している時、大きな反省をすることがあった。
「次回、来月にお会いする日を決めておきましょう」ということで、私は、次のようなことを言ってしまったのだが、それは、失礼極まりない発言となってしまった。
「来月は10月。日曜日はホテルや結婚式場で大変でしょうから、平日にいたしましょうか?」
そこで、牧師さんのお顔が険しくなり、説教されるようなイメージで、次のように返された。
「日曜日の午前中は、私が最も大切にしている時間です。いつも教会におり、来られるみなさんと大切なひとときを過ごすのです。ホテルや結婚式場に出張しておられる牧師さんには失礼ですが、教会に属する牧師となれば、それは不可能なことなのです。ご理解いただけますか?」
私は、しばらく返事が出来ず、失礼なことだが牧師さんの目から視線を外し、自分の足元を見てしまっていた。
それは、浅はかな自身を呪う仕種でもあり、それからすぐに「初めて知ったことです。失礼を申し上げました」と謝罪した。
若い人たちには、クリスチャン形式のブライダルに人気があるが、果たして神父さんや牧師さんの異なり、また、カソリックとプロテスタントの意識なんてあるのだろうか?
そんな疑問を感じながら、冒頭の「プロ」「牧」のことを思い浮かべた出来事となった。
来月、あるお寺さんから仏前結婚式の手伝いを頼まれている。これまでに20回ぐらいの体験があるが、献花や焼香に数珠の交換などがあって、なかなか厳かな結婚式でいいものである。
家と家が結ばれるという発想が希薄し、人と人が結ばれる個人主義が潮流となっているが、神でも仏でも「尊前」ということを大切に考えたいもの。出来たら「本物」の前で誓うことが出来たらと思っている。