2017-09-27

懐かしい思い出  NO 7985

四天王寺 六時礼讃堂前号で触れた四天王寺には環据えられない思い出がある、終戦から50年を迎えた際に、大阪府仏教界と大阪市仏教会が主催した太平洋戦争全物故者の追悼式が行われることになり、読売テレビと読売新聞社が後援という形式で企画が進められた。

何度か会合を開かれた中で様々な宗教の問題もあるところから式次第も決められず、予定高が先行している状態だった。

そんな中、私に声が掛かって会合に出席することになった。プロヂュースと司会を担当することになり、アドバイスをした式次第がすんなりと受け入れられ、会合が始まってから30分で大凡の内容が決まった。式場は四天王寺の境内にある「本坊」だったが、30名以上の奏楽が演奏され、舞楽も舞われることになった。

式場に入場されるお寺様が各宗派から読経を勤められるのでそれだけでも250人を超えられるのだから大変だ。本堂内のご尊前の祭壇のデザインも任せられることになり、境内の枷テントの設営場所も決まった。

しかし難儀な問題があった。それは仮設テントなどに張る幕のことで、葬儀なら白と黒野鯨幕だが、50回忌となれば紅白となる。参列される遺族の方々の心情を慮ると紅白を目にされると抵抗感が予想される。そこで提案したのが鮮やかな紫と白の幕で、弊社が特注する費用を負担することになった。

境内の広さは半端じゃなく、寸法を確認して必要枚数を決めたが、発注したら80万円以上の見積もりとなった。これも私の人生の1ページとなると考えて進めたが、振り返ってみても担当させていただいてよかったと思っている。

当日はNHKをはじめ各放送局のニュースで採り上げられたし、夕刊や朝刊で記事にもなっていた。

本坊に入場されるお寺様達の履物の問題でも苦労があった。同じような履物なので間違いが生じてしまう。そんなところから寺院関係の受付で文字の書き込みが可能なリボンの用意をした。

「これよりご入場です」とアナウンスしてから堂内に全員が着席されるまで15分を要したし、入り口の階段の下で履物担当をした女性スタッフ二人が腰痛になって困っていたのを憶えている、

四天王寺には「雅亮会」という雅楽研修の組織があり、多くのお寺さん達が学ばれている。宮内庁には「宮内庁雅楽部」という部門があって知られる「東儀氏」も所属されていた。

四天王寺を西に下ると一心寺があるが、この真向かいに黒住教の大阪大教会所がある。ここで何十回と葬儀を担当させていただいた歴史があるが、式次第の中で演奏される「伶人さん」達が印象に残っている。

笙や笛の音も素晴らしいが、琴を演奏されて「謡い」が入るのは式場が完全に神変化されることになる。斎主の玉串奉奠や遺族親族の玉串奉奠にも流される。

岡山の地で「吉備楽」と称される独特の世界だそうだが、参列者が奏楽に感動された言葉も多かった。

今日の写真は四天王寺境内にある「六時礼讃堂」だが、手前にあるのが舞楽を舞うための石舞台になっている。
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