2016-08-23

あの日、あの瞬間(とき)  NO 4954

ななつ星 大分駅葬儀という仕事の歴史で最も恐怖感を抱いていたのは強風である。自宅、寺院、地域会館などで行われていた葬儀で受付や参列者用のテント設営をするが、強風で飛ばされて負傷者が出れば最悪で、柱1本ずつに20キロの重りを付けるようにしていたが、それでも浮き上がったり飛ばされることもあったのでいつも神経を遣っていた。

台風が接近中となれば台風情報のチェックを行い、時にはお通夜が終わった時点で全てを片付けて帰社したこともあった。

そうしなければ不安で眠れないことになるが、時には予想外の突風が発生することもあり、深夜に「テントが飛ばされました」とご当家からの電話で参上したことが何度もあった。

葬儀専門式場の登場で随分と楽になったが、ハードで楽になった分をお客様に還元するソフトのグレードアップに取り組む姿勢が重要で、参列された方からの情報から知られた他府県の同業者が「研修をさせて欲しい」と何社も来社したことも弊社の特徴である。

ニュースで元大分県知事だった「平松守彦氏」の訃報を知った。漁業や農業の町興しの礎と称される「一村一品」を提唱されたことで知られる人物である。

ある合同社葬を担当した際、故人が公安委員長をされていたことから感謝状を授与されることが決まり、平松知事が参列されることがあった。式次第の中で開式前に祭壇前で授与式を行うことにして葬儀委員長と喪主さんが受け取られて祭壇に供えられることにした。

スケジュールを確認すると授与式を終えられるとすぐにお帰りになることを知り、授与式に続いて献花を済ませていただくことにし、授与式用の白手袋を受け取りに行く女性スタッフと献花をエスコートする女性スタッフもキャスティングした。

献花が始まる前にコメントとして「ご公務で堅調にお帰りになるので献花をいただきます」と入れて秘書の方と打ち合わせをしていたように委員長も喪主さんも玄関までお見送りできませんのでという流れにした。

ここで触れておくが、洞爺などで喪主さんの務める会社の社長や上司が弔問に来られるケースもあるが、表まで出てお見送りをしなくてもよいいうのがマナーとしてあり、この時もこれに準じてということであった。

授与式のBGMは「威風堂々」を選曲したが、冒頭部分の賑やかな部分はカット。重厚で荘厳な部分の旋律だけを用いたら、葬儀という場で想像以上にマッチしたので印象に残っている。

その時の故人はある宗派のご本山の総代という立場からびっくりする人数のお寺さんで務められたが、会葬に来られた人達も驚かれていた。

ひとときだけだがご仏縁のあった「平松氏」のことを思い浮かべながら手を合わせる。

今日の写真は「特急白いソニック」の車内から撮影した大分駅に停車中の「ななつ星」を。
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