2016-03-07
古希を迎えて NO 4788
メールでのメッセージを届いていたので手を合わせたが、残された時間をどのように過ごすべきかを真剣に考えなければならないこの頃であることは確かだ。
奇跡か不思議か不明だが、300万人に一人という難病であることを宣告され、手術の説明まで受けていて最終検査をしたらその難病ではなかったことは幸いだが、それなら何の病気なのだろうかと疑問を抱きながら昨日病院へ迎えに行った。
往路に利用した大阪モノレールだが、万博記念公園駅で彩都西線に乗り換えるために待っていたら、入って来た車両をみてびっくり。日清食品のチキンラーメンのラッピングだったからだが、帰路の車両はパチンコ店グループのラッピング車だった。
この他にも「阪急車両」「コンビニグループ」「大手スーパー」「自治体」などもあるが、大阪環状線の車両にもラッピング車両が増えているし、
自身が置かれている境遇や環境によって目に見える景色の色も変わると言われているが、日曜日で多くの人達で賑わっている万博記念公園を見ながら病院の駅へ向かうモノレールの車中はこれまでとは違い、少し心もリラックス出来たようで太陽の塔の表情もちょっと違って感じられたような気がした。
さて、我々夫婦をいつも誘ってくれるご夫婦に悲しみが起きた。グルメが楽しみでこれまでに何度もご一緒したが、1泊旅行にご一緒することはなかった。それはご当家には2匹の愛猫の存在があるからで、我が家にも悪猫がいるところから猫に関する会話も多く、写真ブックを拝見させていただいたこともあった。
その猫の一匹が突然亡くなってしまったと知った。猫は自身の死の姿を飼い主に見せないように配慮して死を迎えるということを何かの本で読んだことがあるが、我が家の歴史を振り返ると6匹の猫がいたことを思い出すが、老齢から一歩も動けなくなって死を迎えた猫もいたし、交通事故に遭遇してしまったケースもあった。
動物の病気や死は人と違って言葉のコミュニケーションが出来ないので悲哀が強い。「可愛がってくれて有り難う。あなた達が飼い主で幸せだった」なんて何も言わずに旅立ってしまうのだから悲しいのだが、家族の一員のように過ごしていた在りし日を思い出すことが悲しみを募らせるのである。
友人達と会食のひとときを過ごした。昔から何度も行ったことがある割烹だが、箸置きの下に敷かれた紙に西行法師の詠まれた詩が紹介されていた。
「雪に見えて 風に桜の乱るれば 花の笠きる春の夜の月」
西行法師は平安時代末から鎌倉時代の初めにかけて存在した僧侶だそうだが、武士出身であるという説もある。生前に「願わくば 花の下にて春死なん その如月のころ」と読まれ、旧暦の2月16日に73歳で入寂。その日は釈尊が涅槃された同じ日であった。
今日の写真は我が家の悪猫を再掲しよう。