2016-02-23

印象に残っていること  NO 4775

不老ふ死温泉20年ほど前に知人夫妻が体験したことを紹介しておこう。もうお2人共この世におられず、その葬儀はどちらも私が担当していた。

私より一回り以上年上だったご主人だが、大病を患われて半身不随という不自由な晩年を過ごされていた。

4歳若かった奥様がいつも寄り添って杖の役割をされていたので近所で有名なおしどり夫婦として知られていた。

動ける内にとご夫婦が行動されたのは、過去に行ったところでもう一度訪れてみたい場所や、一度は行ってみたい場所のリストアップ。旅行会社や駅に置かれている旅行のパンフも集めてそれらの計画予定が完成した。

ご夫婦はアパート、マンション、駐車場などを経営される地元で知られる地主さんで、それらを管理される会社を経営されており、スタッフに任せても問題がない立場だった。

春の桜前線が北上する頃から始まった旅行だが、まずは南国からと奥さんのご要望から「日南海岸」「都井岬」「霧島温泉」「高千穂」に出掛け、砂蒸し風呂で知られる指宿温泉でも2泊していた。

1回で行かれる行程は4泊から5泊の予定だったが、それが3回目を迎える梅雨前のこと。そんな旅を楽しみにしておられた奥様の体調に異変が生じ、病院で診察を受けてそのまま入院。症状は想像もしなかったほど悪化の一途。入院してから半月も経たない内に医師から信じられない宣告を受けた。

「残念ですが、余命1ヵ月です」という残酷な言葉。現代医学でもどうにもならない病状で、今は病室で苦痛に苛まれる症状の痛みを点滴で和らげるだけしか出来ず、その事実を知った身内や友人達に衝撃が広がった。

「介護して貰わなければならない私がこんなことになるなんて」と嘆かれるご主人だったが、誰も掛ける言葉が見つからず、憔悴される姿は人の世の悲しさを顕著に物語るものでお気の毒の他に言葉が見つからなかった。

お2人で予定していた旅行もその後は行けず、10日後には病室での会話さえ不可能になってしまうほどの激変を迎え、この世に神仏は存在しないのだろうかと苛まれる状況まで陥られるのも無理はなかった。

自分の大切な存在である家族が死の宣告を受けると、それから同年代の人達を目にすると「どうしてこの人達は元気で歩いているのだ」と怒りを覚えるようになると言われているが、ご主人もそんな心境になって娘さん達に支えられて人生の最も過酷で大変な時期を過ごされていた。

医師の宣告した通り、数日後に奥様はその生涯を閉じ逝かれた。お通夜と葬儀が行われたが、故人の生前のお人柄を物語るように多くの参列者が来られたが、ご主人は一気に齢を重ねられたように精神的に弱っておられ、それから2か月も経たない内にこの世を出立されてしまった。

奥様がご逝去された際に伺った旅行予定だった行先のことを憶えている。六善光寺「信州善光寺」「関善光寺」「甲斐善光寺」「元善光寺」「岐阜善光寺」「祖父江善光寺」への参拝もあったし、下北半島の「仏ヶ浦」も入っていた。

今日の写真は一度は行ってみたい「不老ふ死温泉」を。夜間の照明がないそうで、日の出から日没までに入浴しなければならないそうだ。
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