2016-01-29

人生黄昏  NO 4450

俳聖殿前号で歴史の中で我が国の建築物に多大な功績を残した「辰野金吾氏」のことに触れ、「三大バンザイ」についても書いていた。

臨終時にバンザイをしてこの世を去ったというのも凄いことだが、「喜劇は終わりぬ」と言って旅立った著名な音楽家もいたので人の終焉は様々である。

昨日のニュース記事の中で人生の終焉時に後悔することの分析が紹介され、第一位にランクされていたのが「旅」であり、自身の終焉の訪れが近いことを悟った時に、「あそこへ行ってみたかったな」「どうして行かなかったのだろうか」と悔やむことが多いのである。

我が人生で最悪の体調を迎えている。何度も入院したこともあるが、その時のどれにも体験しなかった不調を来たし、この世の出立を覚悟しなければならないなんて思うこの頃である。

昔、三重県の伊賀上野城に立ち寄ったことがあった。公園内に松尾芭蕉の生誕300年を記念して建てられた「俳聖殿」があったが、松尾芭蕉が終焉を迎えたのは大阪の御堂筋で、現在その地はなくなっているが、南御堂に「旅を病んで夢は枯野をかけ廻る」という句碑が存在している。

芭蕉の辞世の句としては様々な説があり、「この道やゆく人なしに秋の暮れ」「やがては死ぬけしきは見えず蝉の声」も終焉につながる句のようだ。

芭蕉の遺体は遺言によって滋賀県にある「木曽義仲」の墓地の隣に埋葬されたそう。

命の短い表現として知られるのは「蝉」「春の淡雪」「露命」「夏の蛍灯」などがあるが、芭蕉は51歳でこの世を去っているのだから私の68歳というのは恵まれていると考えるべきだろう。

夏目漱石と交流の深かった「正岡子規」の晩年は重い病に苦しんでいた。その症状の緩和に効果があると弟子達が育てたのが糸瓜(へちま)であり、そこから出る水溶液が目的だったようだが、彼は「糸瓜三句」を詠んでいるし、芭蕉の「時雨忌」に対して「糸瓜忌」という呼称も知られている。

昨日の深夜にNHKのBS番組で「新日本風土記」が再放送され、草津温泉の特集に興味を覚えた。高温で湧出される源泉を冷ますために「湯もみ」という板を使った女性達の姿も名物だが、高温の湯に3分入って日に何度か湯治する「時間湯」というものが凄かった。

頭から熱い湯を何度も被ってから入浴するものだが、他人に熱い思いをさせない配慮から湯船の中では一切身体を動かさず、ただ只管苦行のように我慢している光景に驚きを感じた。

その入浴方法を指導する人物のことも紹介されていた。一定のリズムで掛け声もあって昔から伝わっている入浴法が実践されているようだが、これらは医学的な裏付けもあったようだ。

友人に温泉に詳しい人物がいる。数日前に会った際に身体の冷えを訴えたら、ある温泉がよいと教えてくれ、遠方だが出掛けてみようと思っている。

今日の写真は伊賀上野城公園内にある「俳聖殿」を。
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