2016-01-28

歴史に残るもの  NO 4449

武雄温泉 楼門南海本線の浜寺公園駅がその薬務を終え、移転して補修を行ってから元の場所で保存されるというニュースがあった。ジャッキで持ち上げてそのまま30メートルほど動かすという工法が用いられるそうだが、1907年に「辰野金吾氏」によって設計されたものとして知られている。

「辰野金吾氏」と言えば頑丈な設計をするところから「辰野堅固」と称されたという逸話もあるが、日本銀行本店、日本銀行大阪支店、日本銀行京都支店、奈良ホテルなどを手掛けており、1918年に建設された大阪の中央公会堂もその一つである。

1914年に東京駅と武雄温泉の楼門を担当したことも有名だが、「三大バンザイ」という伝説があり、その生涯でバンザイをしたことが3回あり、「東京駅の設計担当決定」「日露戦争勝利」「終焉臨終の床」と言われている。

一昨年の秋に武雄温泉に行った際、楼門近くの旅館に宿泊。次の朝に楼門の敷地の中にある歴史のある大浴場に入湯して来たが、行く前に楼門の歴史を知り、東京駅と同じ人物の設計であると撮影して来た思い出がある。

浜寺の海は私が小学生時代に泳げたことを記憶している。公園内に浜寺水連学校があり、同級生達が多く通っていた。

浜寺から少し和歌山県寄りに行くと二色浜があるが、そこでも海に入った思い出がある。難波駅から和歌山へ行く南海本線に今回の駅が存在するが、あべのハルカスの横から出ている路面電車も浜寺駅前までつながっている。昔は上町線と呼ばれており、住吉公園駅の一つ手前の住吉交差点で恵美須町から来る阪堺線に乗り換えなければならなかったが、今は直通が運転されているし、住吉公園駅も確か今月で閉鎖されるニュースもあった。

数年前に住吉大社へ参拝した際、住吉鳥居前駅で電車を待っていたら、やって来た電車は貸切になっており乗車は出来なかったが、車内で宴会をやっているのが見えてびっくりした。

宴会の電車で思い出したが、京阪電車の石山坂本線で「おでん電車」が運転されていることも知られており、冬の季節に車内でおでんを肴に一杯飲めるところから人気があるようだ。

おでん電車と言えば豊橋電鉄でも運転されている。そのネーミングが「おでんしゃ」というのだからユニークだが、こんな企画を歓迎する人達が多いと想像する。

夕方、薬を貰いに医院へ行った。午後4時に開院するのですぐに言ったら、待合室に患者さんの姿はなく、待たずに診察室に入れた。

過日に大規模病院で診察を受けた症状に関しては持ち帰った手紙によって医院の先生がフォローしてくださることになったが、今後の予定についての話も伺った。

テレビのニュースで大臣の辞任ニュースが流れていたが、バトンタッチされた大臣は過去に何度も失言で話題になった記憶がある。またやってしまうのではと心配してしまう。


今日の写真は佐賀県武雄温泉の楼門を。過日の寒波の時にはかなりの積雪があったようだ。
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