2015-08-20

時は流れて  NO 4286

キャンベラ駅 玄関この業界の興味本位的な裏話も書いた書物が発刊されているし、旅館葬なる式場を旅館にして静かに施行するといサービス形式も登場した。

また、ドライブスルー型の参列形式という信じられない発想を打ち出した葬儀社も出て来た。車に乗ったまま機会に向かって記名を行い、香典はさすがに人の手に渡されるそうだが、焼香は実際に焼香するのではなく、ボタンを押すと誰が弔問に来て焼香ボタンを押したかと判明するそうだが、葬送の意味とは「野辺の送り」という日本人の心の文化がある筈だし、家族葬が潮流となって「何でもあり」でもこれはないだろうと思っている。

お寺の存続を考えて檀家制度を廃止し、日本全国から宅配される「お骨」の納骨を承るというサービスを始めたお寺もあるが、何宗問わずお通夜と葬儀の導師を受けますというメールを送信されたお寺もあるし、初七日などの対応はいたしません。お通夜と葬儀のみですと付言されていたのは衝撃だった。

大手物流グループが葬儀の紹介ビジネスを展開して積極的ネットCMをしているが、お布施まで「料金」という発想で打ち出してしまって物議になり、仏教関係者からの抵抗感からオープン化を止めたが、またややこしい紹介ビジネス会社が登場してお布施や戒名の料金表示をしている。

どんな業界にも価格破壊が起きていると言われているが、葬儀ということだけは「悲しみ」を理解し、「大切な方の、大切な終焉の儀式に、大切な宗教者を迎える」という本義だけは忘れないようにしたいものである。

21世紀を迎える前、私が発想して社会に提案発表した新しいサービスが大きな話題を呼び、NHKテレビやサテライトニュースなどでも採り上げられ、多くの新聞や雑誌で紹介されたことがあるが、ある大手新聞の一面にカラー記事として大きく掲載されたことは忘れられない出来事であった。

ホテルの語源はラテン語の「ホスピターレ」で、歩くことしかなかった遠い昔に生涯に一回は訪れたい聖地に向かう途中で心身を休める場所をそう呼び、現在のホテルやホスピタルという病院につながっている。

東京オリンピックの招致で話題になった「お・も・て・な・し」だが、そのホスピタリティーを最も重視するのが悲しみに対する考え方で、ホテルこそ葬儀の式場に相応しいと提案し、実際にお通夜や葬儀を行ったのだから参列者が驚かれていた。

駐車場が1000台も可能で、遠方から来られるご親戚の方々の宿泊も問題ないし、会葬者がラウンジやレストランを利用されるのも便利である。

500人ぐらいの参列者が来られるお通夜を他府県の同業者が見学に来たことがあった。「本当に行われている」と驚いていたが、その時の弔問者の多くがファクシミリで届いた訃報通知の式場がホテルになっているので後日に社葬をするのではと確認の電話をされた方が多かった。

そんなことを20世紀の時代に企画していた私だが、業界向けの講演で「ホテルで葬儀が行われる時代が来る」と発言したら、「そんなことになったら逆立ちしてやる」と嘲笑されたことも懐かしい。

多くのホテルからも招聘されて参上した歴史があるが、その時にホテルが得意とする「おもてなし」と「食事」だけを売り物にしたら将来はない。第一部の儀式こそ重視し、会食は「御斎おとき」と考えるべきとアドバイスしたが、その指摘が私の言った通りになったこの頃である。

今日の写真は「ここが本当に首都の駅?」と驚いたキャンベラ駅。オーストラリアの鉄道には改札口の存在がなかった。
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