2015-02-15

思い出話  NO 4105

喫茶店で高齢の女性から昔話を拝聴した。40年前に私がご主人の葬儀を担当していたそうで、小学生だった子供さんを見事に育てられたご苦労はまさしく人生ドラマのように感じた。

人に歴史ありという言葉があり、生涯には予想もしなかったことにも遭遇するが、人との出会いで学ぶことも多く、もっと若い時代に逢えていればと残念に思うことも少なくなく、よくぞ出会ってくださったと手を合わすことも少なくないのが人生である。

1万人以上の方を担当させていただいたということは、それだけの喪主様が存在していたことになるし、ご遺族やご親戚の人数を考えると驚くことになるし、ご弔問やご会葬者の人数を考えると大阪市の人口をはるかに超えることになる訳で、振り返ると感慨深いものである。

さて「NO 4101」で触れた東京のホテルオークラの保存について内外からの意見がいよいよ高まってきているようだが、過去に利用した外国の要人達の声が強いようで、ホテル側も悩み大きくなっていると想像する。

あのオバマ大統領も宿泊したホテルであり、我が国で格式の高いホテルである。

東京のホテルの「御三家」は「帝国ホテル」「オークラ」「ニューオータニ」となるが、その後に新御三家と称されるホテルが登場しても。そのゆるぎない格式はオークラ独自の世界があった。

かつて「ホテルオークラ」にはホテル業界で知られた総支配人さんがおられた。社会で「偲ぶ会」や「お別れの会」がホテルを会場とすることが始まろうとしていた時代だったが、そんなことをテーマとする大規模なセミナーが開催され、私とその人物の2人が講師を担当することになり、控室で「ホテルの語源はラテン語のホスピターレで、ホスピタルやホスピタリティにもつながる言葉だが、最もホスピタリティを必要とされるのは悲しみのお客様である」と言うと、かなり高レベルな論議を交わすひとときとなった。

一方にホテルオークラを退職してホテル業界関連の会社を経営している友人もいた。彼はホテル業界への人材派遣なども取り組んでおられ、料理長からスタッフ、パーティーコンパニオンまで派遣する知られた人物だった。

私と同年だったが、あちこちのホテルへ連れて行って貰い、何処で食事をしても彼が特別待遇を受けており、その御相伴に与かったので様々な交流が広まることになっていた。

交流が始まってからすぐに彼に依頼したことがあった。それはお寺などで通夜や葬儀が行われている現場に持参する接待関係の什器備品のチェックや接待担当スタッフの対応で、終わってから指摘されたことはその後に大いに役立つことになった。

それから3日後のことだった。紹介されたという人物が来社、ホテル業界に企画販売しているあらゆる商品が掲載されている分厚いパンフレットで、その中から便利な物を数点注文することになった。

購入したものでうまく活用出来なかった物があった。それはホテルで食事をする時にフランスパンの屑などを拾う金属製の物で、焼香時に落ちる香の解決を考えたのだが。下地の生地そのものが違っていたのでうまく活用出来なかったのである。

彼からその器具の名称を教えて貰ったことがあったが失念してしまっている。しかし、テーブルの上に屑が落ちるようなパンでないと美味しくないとアドバイスされたことだけは憶えている。

今日の写真は広島の「ピピの日記」にあった写真から拝借。「Wカツカレーうどん」だそうだが初めてそんな存在を知った。
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