2014-08-18
いにしえの NO 3930
考古学ファンにとって何より興味深い話題があった。飛鳥の地でピラミッド型の古墳が発見されたからで、お盆休みに見学に訪れた人達が押し寄せているニュース映像が流れていた。
歴史で知られる「蘇我氏」の誰かではという憶測もあって話題を呼んでいるが、蘇我氏と言えば「聖徳太子」がゆかり深い。
数日前まで四天王寺の写真をずっと掲載していたが、四天王寺と言えば「聖徳太子」につながっている。
四天王寺には諸説があり、元々は現在の大阪城公園の東南角にある大阪環状線「森ノ宮駅」辺りにあったと言われているのも興味深いところである。
天台宗に属していた時代もあるが、元々は八宗兼学だったこともあり、終戦後に「和宗総本山」となった歴史がある。
現在の福祉につながる発想が建立当時からあったようで、聖徳太子は「施薬院」「悲田院」「敬田院」「療病院」の四箇院を創設されたと伝えられている。
また、四天王寺を囲むように守護的な「宮」が存在しており、「小木・土塔」「河堀稲生」「大江」「久保」「堀越」「上之宮」「今宮戎」などの神社が四天王寺七宮と呼ばれている。
境内にある有名な「亀の池」のところに「石舞臺」があるが、これは住吉大社の「石舞台」と厳島神社の「平舞台」と共に日本三舞台の一つとして有名である。
四天王寺は別名「荒陵寺(あらはかてら)」とも称され、考古学者の研究対象になっていることも知られている。
「陵」で思い出すのは藤井寺から堺市に掛けて存在が多い古墳だが、我が生野区の勝山通りにも古墳の存在があり、幼い頃によく遊んだことを憶えている。場所は現在の生野警察署を東へ50メートルぐらいだが、池があったように記憶している。
同じく「陵」で思い出すのが住吉区にある帝塚山古墳で、昔は「大帝塚山」と「小帝塚山」があったと言われ、後者があったのは私の母校である住吉中学校内だそうで、前者は学校近くだったので何度か入った体験があった。
今日の写真は四天王寺の「石舞臺」だが、バックにあるのは六時堂である。