2012-08-12

お盆に寄せて  NO 3012


 この時期になると忘れられない事故のことが蘇る。日航機の墜落事故の犠牲者の葬儀である。今年はその方のお身内のご不幸があり、合同葬を担当したご仏縁もあり思いは一入深く、じっと手を合わせた。

 お盆の時期、過去に書いた「佛儀」と「物議」というテーマを思い出した。慶事の際の金封には新札を、弔事の香典などには新札を避けるという一般的な常識があるが、お寺さんへの「お布施」はどうするべき? そんな論議が交わしたことがある。

「弔事なのだから新札でない方が」という意見が大半を占めたが、ある人物が「新札が礼節だ」と言い切ったことが印象に残っている。

 金封そのものの水引の色を比喩し、「お布施は、本来、喜捨するものであり、紅白を本義とすることから、新札と考えるべきだ」と説いていた。

 葬儀の場で紅白の水引の金封を持ってウロウロしたらどうなるだろう? おそらく非常識となってしまいそうだが、「お見舞い」に紅白を用いる慣習もあることころから物議を醸す問題となった。

 そんな話題で盛り上がっていた時、ある人物がが体験した新札の思い出を話してくれた。
 葬儀を終えた数日後に精算に伺うと、請求書の金額のすべてが新札で用意されており、恐縮したということ。

 そのご当家、必然として「お布施」も新札を包まれたそうだが、「弔事は当家側の事情。それをお寺様や葬儀社さんにまで押し付けるのは礼節を欠くことになる」とおっしゃったという。

「吹毛常磨」という言葉があるが、修行の世界に限界はなく、生徒から先生になれば日々の精進がいよいよ重要になり、胡坐を掻いた瞬間に堕落の世界に落ちてしまうと教えられた。

 ある会合で「禅」に造詣深い人物が「温故知新」に因んで味のあることを教えてくれたので紹介申し上げる。

 彼によると、禅の世界に「裂古破今」という言葉があり、社会が変化しても先人達が培ってきた「知恵」を忘れてはならぬという意味だそうで、本質を見極め、新旧互いの良さを混合し合う知恵を絞ろうと結んでくれた。

 今日の写真は、あるご葬儀のご出棺時の一枚から。この世で「えにし」に結ばれた方々が手を合わせてお見送りをされるが、葬儀の会葬とは「焼香」を目的とするべきではなく、「ご出棺」をお見送りするものだと考えたい。
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