2025-04-12
懐かしい NО 10170
私の初孫が誕生したのは1999年の年末だった。葬儀の司会をやっていた人生にあって多くの司会者達の教育に「親を送って喪主を体験して一人前」「孫を有して爺ちゃん婆ちゃんの心情が分かるそれまで謙虚にと行って来たが、孫の誕生はその思いを改めて実感することになった。
新年を迎えて2渇月経った頃、長官を呼んでいた時に読者投稿欄に「アンパンマンさん有難う」という投稿があり興味深く読んだら、高齢夫婦が共稼ぎの娘夫婦から頼まれて孫を預かっていたが、泣かれたりぐずられたりした際にアンパンマンのビデオや絵本でずっと対処してきた歴史があり、初孫が小学校へ入学することになってこの感謝を投稿したと言う内容だった。
今、朝ドラで「あんパンが放送Ðされていて毎日観てているが原作者の「やなせたかしさん」の存在に偉大な功績に賛辞の拍手を贈りたくなった。
初孫が2歳になった時、高知県土佐山田にあるアンパンマンミュージアムに連れて行ったことがある宇が、大きなバイキンマンを観て孫が震えていたことを憶えているし、秋のホテルで興奮して寝付かなかったことも懐かしい。今は神戸谷戸小浜などにもミュージアムが存在しているが、当時は土佐山田だけで淡路島を縦断して車で出掛けた。
アンパンマンえ列車も走っていたしバスもアンパンマン号というのがあったが、動物園にも連れて行ってやりたかったので車で行った。
高知動物園は面白かった。チンパンジーの―ナーへ行ったら「芝生を投げつけてくる」という看板があっ構えていたら、本当に投げてたのでびっくりした。
鍾乳洞も見学に行ったが、特筆すべきはミュージアム隣接するホテルで昼食を食べたら
食器のすべてがアンパンマンで振り掛けまで徹底していたのを憶えている。
昨日、奈良県の学園前の学校で落雷事故があった。工程にいたサッカー部の男子生徒とソフトボール部の女子生徒数人が救急搬送Ⓡされたが、二人が重篤で心配だ。この学校は二人の子供が在籍していた学校で、人生とはいつどうなるか分からないものだと思いを新たにした。
知人でボーイスカウトの指導syがいるが、彼がキャンプに引率する際瓦ではいつも上流の雲行きをチェックしている。事情流で号があって十分もすれば鉄砲水がやってくる危険性があるからで、子供の指導者たちは想定外を考えない行動が重要だ。
昨夜BSの番組でげーり・クーパー主演の灰ヌーンを観た、共演の女性はグレース・ケリーでモナコ王妃になられて交通事故で急逝された出来事が思い出される超美人だった。
私がアメ車に乗ったのは40歳の時だったが、西部劇が好きだったので多くのCDを車内で聴くのが楽しみだった。jblのスピーカーの低温が如何にもアメリカナイズしていて「荒野の7人」はそれこそアメリカだった。
振り返れば様々な映画を観た。印象にの子残ってっているのは「渚にて」と「西部開拓史」で、サントラ盤を持っている。
数年前にオーストラリア旅行をしたがキャンベラのホテルに宿泊し2泊した後シドニーまで鉄道の旅をしたが、「渚にて」の舞台となったメルボルンに立ち寄るべきだったと後悔いている。