最古
2024-07-26

杖を2本持って  NО 10096

朝から何とかタクシーが止まってくれて寺田町駅まで行き、少し待ってもらってか信用金庫に行って貰った。

杖を両手に持って躓かないように歩いていたら「大丈夫か?」と前から来た人に呼び止められた。それは割烹をやっている友人で、日課の散歩コースだと言っていた。

彼の奥さんも4年前の秋に亡くなられた。問題があって通夜も葬儀も参列出来なかったので、ずっと心残りとなっているが、導師を務めてくださったのはわたしと深いご仏縁のあるお寺様で、今日、偶然にお電話をいただいて恐縮した。

妻の初盆なのでお参りにと言ってくださって手を合わせたが、我々夫婦で何回もだ安さんに行ったことがあるし、ブラジルのお寺への団参に妻が参加していたこともあった。

割烹の友人夫妻との思い出の中に、新歌舞伎座で行われたポールモーリア追悼公演に行ったことがあるが、次の曲が始まるまでの時間に突然前の方から演歌の着メロが流れてきて
興ざめした出来事があり、周囲の人達から「早く止めろ」というブーイングの声が沸き上がったが、ご本人は慌ててしまって動作が出来ず、隣の席の人が手伝っていた。

公演がお亞割った後に同じビルの中にある「今井」に入って有名な「きつねうどん」を食べたが、「今井」の本店は道頓堀の中座の隣にあり昔から「きつねうどん」で知られていた。

互いが妻に先立たれて老後を過ごしているが、彼をゴルフに引っ張り込んだのは私で、そのことをずっと感謝されている。

彼は籤運が不思議なほど強く、私が関係していたクラブのコンペに神戸に行った際、表彰式は大阪の料亭で行われたのだが、彼は飛び賞でDVDで貰ったが、その前日にDVDが壊れて買おうと思っていたというので信じられなかった。

彼には多くの兄弟がいて末っ子だったが、彼の姉さんやお兄さんたちの葬儀をさ担当したご仏縁もあるし、お母さんの葬儀を融通念仏宗のご本山で行ったこともある亞が、おかあさんが大好物だったという特別な「氷砂糖」が備えられていたことが印象に残っているが、DNAからdろうか、彼は大の甘党好きで「マイサトウ」を持っているぐらいでゴルフ場でコーヒーを飲んだ時に角砂糖を10個以上入れていて衝撃を受けたこともあった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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