最新 最古
2002-03-20

奇  遇

今日は、所属するライオンズクラブの記念式典が夕方から行なわれた。
朝から東京のテレビ局の取材があり、ご要望された弊社のオリジナルビデオ映像を、厳しい制約を付して貸し出した。

 愚生がライオンズのメンバーとして入会してから、もう19年になるが、今日の記念式典のナレーターを担当して、その後、緊急の所用から上京し、今、ホテルの部屋でこの原稿を打っています。

 数年前、ライオンズクラブの先輩メンバーから、私が何かの本で読んで記憶にあった歴史的な悲劇を、ご本人がその被害者の一員であられたことをお聞きし、驚いたことがありました。

  今こそ、瀬戸内大橋が開通し、列車や車で往来できるが、その悲劇の事件が起きた当時は、宇高連絡船の航路がその役目を果たし、多くの皆様のご記憶にもあら れるだろうが、なんと、その先輩メンバーが、宇高連絡線の悲劇として今に伝わる濃霧による事故で沈没した、「紫雲丸」に乗船されていたというのであり、そ の事件の様子をありていに教えていただいたことが今も心深く残っている。

 さて、世の中には奇遇なこともあるものだ。心身の疲れを癒そうとお願いしたマッサージの方とのお話し、それは、また、とても信じられない奇遇な結びつきがあったのでご紹介申し上げる。

 胸に付けられた名札のお名前が珍しいところから、「沖縄に多いお名前ですね」と問い掛けてしまった。「そうです」と応えられてから始まった会話、それは、徐々に数奇な関係のつながりを互いに知るところとなり、驚くこととなった。

  37年前の夏、1ドル換算が360円というレートの時代に、アメリカが管轄されるパスポートを入手して沖縄に行ったことがあった。神戸の中突堤を出港した 関西汽船の貨客船「浮島丸」、およそ2600トンの船だったと記憶しているが、出港後、和歌山の友が島のあたりからうねりが高くなり、気分が悪くなって次 の寄港地である奄美大島の名瀬港までの長時間、何も食べることが出来ない程の激しい船酔いに襲われた。

 名瀬では強風を避けるため長時間停船し、やがて出港後は沖縄までにある幾つかの島に寄港し、船室では全く立つことが出来ないローリングの中、神戸出港から約66時間を要して那覇泊(とまり)港に着岸した。
 この入港時には、岸壁に数千人の人々が集まっておられ、救急車、消防、警察車両が多く見られ、間違いなく何かが起きたことが確実であることを物語る雰囲気があった。

 船員さん達は、無線情報から、すでに何が起こっていたかを知っておられた。
教えてくれたことは離れ島航路の船の転覆事件、伊江島か久米島か記憶は定かではありませんが、強風高波の中で横波を受け、「みどり丸」という船が転覆、多くの犠牲者を出されたことを後で知った。

 そんな那覇泊港への入港時の記憶を語りかけたとき、マッサージの方は、驚きもせず、静かに「奇遇ですね」という言葉だけを返された。
 そして、奇遇という言葉を出された詳しい事情を教えていただいた。

  「実は、あの転覆事件で、私は家族の一人を亡くしているのです。私の人生の悲しい出来事を、こんなところで耳にするとは思っても見ませんでした。私が<無 事>を祈りながら次々に入港してくる救助船を待ちわびていたとき、偶然に入港してきた「浮島丸」、今もその時の姿を鮮明に覚えていますよ」
 「奇遇」とは不思議な出会いのことを言うのですね。   合掌
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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