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2003-09-08

お好み焼き    NO 540

昨日、メールのことを書いたが、最近、メールを多く頂戴するようになった。

 「司会のことを」「社葬のことを」「ナレーションのポイントを」「式を見学させてください」「偲ぶ会やお別れ会のことを」・・・・・書いてください。

 そんな内容が大半だが、そのすべてを書いていくと20年ぐらいを必要とする世界。私が生きている内には絶対に無理。また、勝手ながら企業秘密もあり、限界もある。

 そんなところだが、今日はサービス精神で、司会とプロデュースに関係する「さわり」だけを書かせていただく。

 弊社のHP内に「人生表現」のページがあるが、70年、80年も生きてこられた方の人生表現なんて、何十時間を費やしても語り尽くせないもの。それを1時間や2時間の儀式の中で5分前後に収めるとは失礼千万。これほど僭越でおこがましいことはないだろう。

 では、それが許されているのは何故だろう。それは、葬儀が宗教に則って進められてきたから。弔辞は別として、形式的な弔電代読が許されるのに、故人を追憶するナレーションや故人が好きだった音楽が許されない。そんな暗闇?の時代が長く続いていた。

 個性化、多様化が世の流れのように思われがちだが、この背景には「昔からこうするものだ」という、社会全体の納得に成立していたものが一気に表面化したということがあり、潜在意識がニーズに変化して「無宗教形式」などで訴え出したということになろう。

 さて、今日の本題だが、ある著名なホテルで行われていたお別れ会。故人ご夫妻はボウリングが大好きというところから、レーンとボールを生花で表現した祭壇が設置されていた。

 その前でテーブルを囲むパーティー形式。お別れの言葉があって献花に進む。「会」という表記だから「式」らしきものは一切ない。

  ホテル側は、きっとご遺族の思いを「かたち」にされたのだろうが、私だったらこんな発想は絶対にしない。この祭壇に意義を発生させるなら、この日を迎える までに故人のお名前を「冠」にしたボウリング大会でも開催するべき。そして、この日に表彰式。ここにこの部分の「式」を厳粛にすることだけでも「会」が引 き締まる。 

 祝賀会、偲ぶ会、お別れ会などに第一部と第二部があるのは常識だが、この区分けこそが全てと言っても過言ではなく、第一部の意義が第二部の宴席で環境空間完成につながっていく。

  人生表現とは、本当に難しいもの。ある男性の方の葬儀。ご遺族に伺った故人の人生、そこに「お好み焼き」が登場した。趣味がお好み焼きの食べ歩き。そこで 習得された「こだわり」を自ら具現化ということで、1週間に1回は、自宅で昼食、夕食がお好み焼き。家族が閉口されておられたそうだ。

  この方の葬儀。お好み焼きを祭壇で表現したらどうなるだろう。間違いなく「吉本」の世界。こんな場合は言葉で語ることがベター。こだわりの部分を徹底して 取材し、参列者にその「お裾分け」を感じていただくことをお土産とし、「どこかでお好み焼きを召し上がられる時、故人のことを思い出していただければ何よ りのお供養かと・・・」

 そんな思い出を「形見」にするのがプロデューサーの仕事。そのシナリオを最大限に伝えるのが司会者の役割。私は、二役。だが、給料は一人分というのが悲しい。
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