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2003-10-17

ご隠居さんの言葉から    NO 578

人生とは「皮肉」なものである。誰よりもそう思っているのは、話題の日本道路公団総裁の藤井氏でないだろうか。

 予想だにしなかったタイガース星野監督の勇退ニュース、これは藤井氏にとっては「神罰だ」と、近所のご隠居が喫茶店で解説してくれた。

 まさに、人生とはドラマである。プロ野球は「メイクドラマである」と言ったのは、かの有名な長嶋名誉監督。長嶋さんには間違いなくインタビューが求められるだろうが、藤井氏との問題に掛け合わせて語られたら、名誉監督ならではの名言が聞けるかも知れないと期待している。

 プロデューサーとして捉えてみると、野球に限らず、すべてのスポーツは、選手一人一人が演じる筋書きのないドラマ。だから面白いものであるが、いつも主演が観客であることを忘れてはならない。

 予算の掛かっていないテレビのドラマなら、始まってすぐに「こいつが悪役だ」と分かる強烈なキャラクターを起用するが、それが面白くないのは当然で、そんなところからすると、最初から犯人をオープン化している「刑事 コロンボ」なんて、最高のドラマだとも言えるだろう。

 ある著名な映画監督と食事を共にしたことがある。彼は、そこで興味深い話を聴かせてくれた。

 「私はね、映画を作る際に最も大切にしているのは、劇場で放映される時のお客さんの目と耳なのだよ。俳優に演技を求めるのも、いつもお客さんの立場から注文をつけているということになるかな」

 新聞やテレビの報道を見ると、男の美学や「花道」という言葉が躍っている。花道とは、舞台役者や相撲世界の「出入り」の道。それを転じて華やかな道や引き際を飾る道として引用され、人生の花道という言葉につながっているのである。

 藤井氏には申し訳ないが、そんな選択を迫らされている瀬戸際に、政治や国民に挑戦することは、誰の目にも、深作監督のやくざ映画の「出入り」みたいに「殴り込み」に見えてしまうではないか。

 さて、ここでお考えいただきたいことがある。星野監督も藤井氏も、どちらも与えられた世界での花道が話題になっているが、それは、人生の幕引きではないということ。

お二人とも、これからの人生がまだまだ続くのである。これからの人生ドラマは、ご自身が脚本を書かれること。その脚本の選択で今後の人生が大きく変わり、本当の幕引きの時に客観的な立場で振り返ることになるだろう。

 「天下り」は「アマ」が仕事を求められた世界ではない筈。豊富な経験という「プロ」の結果を出す仕事。そこで自分の思っていた「筋書きと異なる」と唱えては、如何に権利があろうとも、もはや観客の拍手が鳴ることはない。

 多くの方々の終焉儀式を担当させていただくと、拍手でお見送りしたい方もある。それは、高名な方だけではない。見事に子供を育み家庭を守り築かれた父や母ということもある。

 男にも女にも「美学」はある。「終(つい)」の美を飾る人生であって欲しいと願っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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