2003-11-26
最期の言葉 NO 617
ある女性が、入院されていた。彼女が自身の病気が不治であることを悟られたのは、つい最近のこと。それは、入院してから二十日ほど経った頃だった。
家族の気遣いや、思い掛けない友人たちの見舞いから感じられたそうだが、1週間ほど前まで、冗談っぽく「私が死んだら明るい葬儀をしてね」と言っていた彼女、発言の内容が急変することになり家族が困惑をされてしまった。
「お葬式だけど、私の死に顔だけは見せないでね。家族と私の姉妹以外は絶対よ」
その言葉を聴かされた頃、病状が悪化され、担当医に確認した家族が耳にしたのは「一週間の余命」。
もう励ましても無理だと覚悟された家族の方々、ある作戦を進めることになり早速始められた。
ご主人と長女、長男の3人が、酷なようだが涙を秘められ次のように言われた。
「お母さん、お葬式は、お母さんが思っているようにしたいんだ。そこで、いっぱい思っていることを言ってよ。これから1年、みんなで考えようよ」
この「1年」という言葉が功を奏したのか、不思議なことに急激な病状の悪化が止まり、言葉がはっきりと聞き取れることになってこられた。
作戦は、見事に成功。そこで家族は真面目に彼女の要望を聞き出す行動に入られた。
それから約半月、ご本人が要望される葬儀への思いが集約されることになったが、医師が「奇跡のように頑張っておられる」と驚かれた様態も限界を迎えたようで、鎮痛剤の影響もあったのだろうが、言葉が段々聴き難くなる状況。
「お花で飾って欲しいの。菊は嫌よ。白い花の世界に紫のカトレアが似合いそう。ちょっとピンクの花をあしらうのもいいな。そうそう、写真は去年のお宮参りのがいいわ」
そんな思いを家族がメモされたノートは、30数ページにもなったそう。
その中には、知らせて欲しい人のリストアップから、納棺の際に着たいという着物のことまで綴られている。
「明るく送ってね。悲しまないでね。お父さんのことをお願いね」
そうおっしゃられたのは、亡くなる前日の夜。
家族は、明るい葬儀を決行されるつもりになっておられたのだが、ご終焉を迎えられる直前、絶え絶えで聞き取れた言葉を耳にされ、大きく方向転換となってしまわれた。
「・・みんな、私を知るすべての人に・・・私を忘れないでね・・と伝えて・・・・」
それがご最期のお言葉となった。
「明るく送ってね」という言葉の奥に秘められている真意。それは、臨終を迎える際のご本人にしか分からないことのような気がする。