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2004-03-13

仕掛け   NO 730

小学校時代の国語の時間に「海彦」「山彦」の物語があったことを記憶しているが、魚釣りの世界にも著しい進化が見える。

 生きていくために「魚」は大切な存在だが、魚群探知機なんて代物を知っておられたら、「金子みすず」さんが、どんな詩を創作されただろうかと興味を覚え、「海の底では魚の合同葬」なんて言葉になっていたかも知れない。

 「海彦」には確か「釣り鉤」のことが登場したが、今日は、そんな釣り鉤について考えてみた。

 30歳時の愚書「お葬式と春夏秋冬」の冒頭に、「死訪」と題した詩を書いていた。『あなたは生きているのでしょうか それとも生かされているのでしょうか』 そんなフレーズで始まるものだが、6行目から10行目に次の表記があった。

 『悲劇のヒロインとなられた時 自らの死を考えられることは 人間にだけ与えられた権利でしょうか 蛇に呑み込まれようとする蛙よりも 釣り上げられようとする魚よりも   悲しく哀れで不幸なことなのでしょうか』

 当時、へら鮒釣りに凝っていた私だが、へら鮒釣りには他の釣りと異なる仕掛けが存在していた。

 それは、ズバリ「釣り鉤」。へら鮒用の鉤には尖った「戻り」がなく、掛かった魚を「しなり」という竿がフォローしていたのである。

 「戻り」がないということは、すぐに外せることになり、「またね」と言葉を掛けて水に放すのが私の釣り。へら鮒釣りの道楽をする人はそれが当たり前のことだった。

 「戻り」のある鉤は、掛ったら最期、そこから逃れるには竿を折るか糸を切るしかなく、それは捕獲を目的とする人間の知恵の産物であり、外すのが大変だったのを、今や簡単に外せる用具まで作って販売されているのだから恐れ入る。

 世間には、いっぱい餌がバラ撒かれている。食いついたら最期、戻ることの出来ない恐怖の仕掛けが秘められている。

 ネット社会で葬儀社の宣伝を見ていると面白い。我々プロなら「お笑い」というようなレベルのことで釣り上げられるお客様がどれほど多いか。

葬儀は「非日常的」なこと。不幸の発生で仕方なく自ら「餌」に「食い付く」環境を迎えるが、そこに「戻り」が出来ない「悔い付き」が生まれてしまう。

 『総額で40万円からです。全国の加盟店で』という「家族葬」の宣伝が目立つが、お布施や精進落としの食事も含まれているそう。<これは、保険か?>というのが私の本音。

 家族葬と言っても親戚もやって来るし、その人数はお家によって異なるもの。通夜と葬儀に食事をし、そこにお布施をご用意するだけで幾らのお金が必要だろうか? このシステムはフランチャイズの親元だけが儲けるタイプ。食いついた葬儀社も「戻られず」に泣いているかも。

 そんな常識さえも見失ってしまうのがお葬式。非日常的なことだが「非常識」は故人への礼節で大問題。おいしそうな餌には「尖った鉤」の存在があることだけは知っておきたいもの。

 「悪い葬儀社だった」という後悔は、選ばれたあなたの責任でもあるでしょうし、それは大切な人に「申し訳ない」という消え去ることのない「心の傷」ともなるのです。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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