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2004-04-25

説教と「枕」   NO 774

 今日は、お寺様から叱責されるような失礼なことを書くことに。

 悲しんでおられるご遺族には申し訳ないが、私は、お通夜を担当する際に楽しみがある。

 それは、お寺様の説教を拝聴出来るから。

 トータライフ協会に加盟する全国のメンバー達から入手する情報では、北海道などでは通夜説教が当たり前のようになっているが、我が大阪では段々少なくなってきており、最近では4割を切る状況を迎えている。

 法話や説教は、何より「話し方」が重要で、大阪弁では確実に説得力を欠くことになり、時には寄席の落語みたいなイメージを感じることもある。

 失礼な表現で恐縮だが「うまい」「下手」の判断は、プロローグ的な冒頭の30秒で判断されてしまうもの。

人の耳に言葉を伝えるなら「ノック」という「心の扉」を開けさせる基本的マナーを忘れてはいけないだろうし、それらは落語に於ける「枕」という序章になるとも言えるだろう。

 あるお通夜に高僧として名高いお方が入られた。<どんな説教を?>と心待ちして拝聴したら、枕の部分に「謝辞」というテクニックを用いられた。

 「皆さん、故人とご遺族のためにご弔問くださって有り難うございます。今、読経をしていますと不思議なことに、故人から皆さんに感謝を伝えて欲しいという伝言があったのです」

 たったそれだけで、弔問者に続く言葉を待つ雰囲気が生まれる。ここが心の扉を開けた瞬間ということにもなるだろう。

 中には政治や他宗の批判をぶちまけるお方もおられるが、度が過ぎると聞き苦しく、そんな感じを抱かれた弔問者の一部が、席を立つという「ブーイング行動」を起こされた光景を見たこともあった。

 お釈迦様の説法テクニックから「人を見て法を説け」という言葉もあるが、せっかく式場となっている空間を「説教」で崩壊させたら最悪で、与えられた布教の時間が宗教離れにつながる危険性も孕んでいる。

 総体的に欠けておられることがある。それは、故人と遺族に関する情報入手。これまでにコミュニケーションがあった檀家さんなら別だが、枕経が初めてのご仏縁というケースでは最も大切なことだと思っている。

 過去に書いたが、自殺された方の通夜説教で「自殺とは悪いことだ」と発言され、顰蹙を買った事件もあったが、死亡原因、闘病期間、家族構成、晩年の様子などを知っているだけで「枕」となる話題がいっぱい生まれる。

 臨終経である「枕経」は、そんな情報入手の大切な機会かも知れないが、通夜の始まる前、葬儀社のスタッフから入手することも可能であり、お寺様と我々葬儀社は、癒しと慰めの良きパートナーとなるべきだと考えているのはおかしいだろうか?
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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