最新 最古
2004-06-18

宗教って?   NO 825

宗教と戦争は「人を変える」と何度も書いたが、報じられる自爆テロの現実がそれらを顕著に物語っている。

 アメリカの同時多発テロの調査結果が発表されていたが、日本もターゲットになっていた事実に驚きを新たにした人も多いことだろう。

 政治の独裁者と宗教の<狂>祖が悲劇をもたらすのは誰もが知っていることだが、人間とは弱いもの。悪道が正義という言葉に流されると簡単に殺戮行為に走ってしまう。

 一昨日に書いた台風襲来の可能性がいよいよ強くなってきたが、政治家のパワーや宗教の祈りで進路を変えるなんて不可能なこと。地震の歴史に併せ、すべての「源」が自然、地球、宇宙にあることを学びたいものである。

 何かの本に「宗教とは、自然と人生を支配すると信じられている人間以上の力を慰め和らげること」と書かれてあったが、人間が自然に対しての謙虚さを忘れた時、必ず多くの犠牲者を出すことになる。

  宗教哲学の世界で「生と死」について追究されるのは当然だが、<自身がなぜ生まれてきたのか?・なぜ死を迎えなければならないのか?>という基本があり、 <どのように生きるべきか?>と悩んだ際の救済の対象として宗教が成り立ち、そこで得られる正解が「生かされている」ことに気付くことだと考えている。

  講演で「最も幸せなことは、来世に夢と希望を託して死を迎えること」なんて偉そうなことを何度か言ってきたが、仏教で説かれる「安心(あんじん)」の教義 は、世界のすべての宗教の救いとなる目的であるような気がするし、そこに至るには善行を積まなければならず、少なくとも<自身を恨む人が「あの世」で待っ ている>では不幸で恐ろしいのでは?

 過去にNHKが行った調査報告を見たことがあるが、「宗教を信じますか?」の質問に「信じます」と答えた人のパーセンテージで、日本人(3割)、アメリカ人(9割)という結果には驚かされた。

 最近の放送でイスラム社会を見ていると、「宗教を信じますか?」なんて質問をするだけで殺されそうな気がする。「信仰とは神仏に献身すること」という言葉があるが、仏教での献身とは「帰依(きえ)」となるだろう。

 葬儀の世界で無宗教形式が潮流だが、日本の信仰文化とは「必要な場合に拝む」という「苦しい時の神頼み」型であった筈なのに、それが葬送の形式で無宗教とはどういう現象?

 政治の扇動テクニックでは、宗教ほど便利で活用されやすいものはないとも言われるが、いよいよそんな世界になりつつあるようだ。

 支離滅裂なことを書いてしまったが、結びに東京外大の町田教授が大法輪7月号で、「なぜ宗教戦争が起きるのか」と題されたご高説の中で、印象に残った一文を下記申上げる。

 『宗教には、魂を広い宇宙に開放する働きと、小さな檻に閉じ込める働きの双方が存在している。自分の魂を排他的な信仰に閉じ込めるぐらいなら、はじめから宗教などに一切の関わりを持たないほうが、人間としてよほど幸せである』
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net