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2004-08-03

マラソン?   NO 871

ある葬儀で3名のお寺さんが入っておられた。

このご人数は、喪主さんとお寺さんで決定されたこと。その参考にされたのは近所の方々の意見、「このあたりじゃ2人か3人だわ」と、言った世話好きなオバサンのアドバイスが後押しされたよう。

 葬儀が始まる前、祭壇の横で式次第の説明を行ったが、その時点にはお寺さん用の椅子のセッティングがされている。

 後方にある司会の場に戻った頃、親戚の方々のヒソヒソ話し。次のような会話が耳に入ってきた。

 「3人のお寺さんなんてすごいね? 私のところじゃ1人だけが多いのよ」
 「3人って少ないね。私の町じゃ分家が5人、本家だったら7人以上が普通だよ」

 前者は東京から、後者は四国の村から来られた親戚の方。お寺さんの人数だけでこんな異なった慣習のやりとりがあるし、お布施の額となったらそれこそばらばら。米一表が相場なんて発言が飛び出して驚いたこともある。

 人は慣習に対して、自身の在住する地の色の付いたサングラスを外せないよう。「このあたりの慣習は?」という質問が極めて少ないのが現実で、自分の知識を常識として判断材料にされるからやり難く、そんな交通整理も我々の重要な仕事になってくる。

 先月に担当した葬儀、当日に遠方から参列された親戚の方。祭壇の前に進まれるとびっくりされた様子で叫ばれた。

 「どうして柩が置いてある?」

 その方の地域では骨葬という形式が行われており、朝の内に出棺があり、お骨が戻られてから葬儀が行われる習慣。そこで柩の存在に驚かれたわけである。

 葬儀は「人を集め人を走らせる」という言葉があるが、慣習の異なりや本家と分家の力関係が複雑に入り乱れ、悲しみの場でややこしい悲喜劇を巻き起こすもの。

「所変われば」「郷に従え」との諺があるが、非日常的な葬儀の場では誰もが評論家になるパーセンテージが高いよう。カミナリ様ではないが、クワバラクワバラの世界だと認識するのも重要なサービス。知識の前に知恵が大切というのが葬儀では?

 さて、ある会社の会長さんの社葬を担当し、取材に参上して会長室の机に書かれていたメモのお言葉が印象に。

 「創業者は、長距離ランナーである。丈夫で長持ちするだけで価値がある」

 私は創業者ではないが、体調不良を感じると、いつもこの言葉を思い出している。
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