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2004-08-02

人生のシーン   NO 870

披露宴で新郎新婦が入場するシーン、そこで音楽が流されスポットライトが当てられるようなことが一般的に行われ出したのは、結婚式そのものがホテルを会場として使われることになったから。

 それらが潮流となってスポットライトを最初に体験したのは団塊世代。それまでは芸能人の披露宴ぐらいだったようだ。

 ある日どこかで出会い、恋が芽生え、やがて愛し合い、そしてこの日を迎えて脚光を浴びる幸せの瞬間。

 そこから死が2人を離別させるまでに繰り広げられる紆余曲折の人生模様、命の伝達としてこの世に生まれた子供の存在があり家族が形成される。

 一方で生涯を独身で過ごされる人もあるし、子供を産まない、また恵まれなかったという夫婦もあり、玄孫の誕生まで生きた方もあれば、初孫の誕生前に亡くなるという気の毒な方も。

 葬儀で遺族から拝聴することの大半が生前の思い出話。続いて互いの心残りとなってくるが、どんな方でも思い出がいっぱいあり、それらは量りきれない重さがあるもの。

 入院を余儀なくされた闘病生活、そこで交わされる夫婦の会話は退院してからの夢と思い出話が多い。人生とは、いつも過去、現在、未来という世界がある。

 大手術を経験された方、また再発を恐れながら日々を過ごされる方が多いが、そんな方々は健常者に比べて「時間」を大切にされているのは確かなこと。

 銀婚、金婚、還暦、喜寿、米寿なんて慣習があるが、ファミリーで祝うパーセンテージはどのくらいあるのだろうか?

 ピンスポで照らされた披露宴の日から死を迎えるまで、何もスポットライトが当たらないのは寂し過ぎる。叙勲や褒章の大規模な記念祝賀会のプロデュースや司会を担当してきた私、いつもそんな思いを抱いてしまう。

 苦労して子供を育て上げたお母さんだってピンスポで照らしてあげたい。人は誰もが自分史を持っている。それを「かたち」で表現してあげたい。そんな思いが建設というハードに至った背景に。

単なる葬儀会館での通夜、葬儀だけではあまりにも時間がなさ過ぎるし、悲しみばかりの環境で表現可能なことも限られる。

 それよりも、家族や友人の笑顔で包まれるひとときを提供したい。「あなたの人生が主人公」といシチュエーションを描きたい。そこに人生黄昏の「生」の謳歌があれば輝く筈だし、やがて訪れるエンディングでのシーンも変わってくるだろう。

 プロジェクトスタッフの平均年齢は20代。そんな彼らが日々の仕事で悲しみを体感し、私のとんでもない考え方に賛同を始めたのは、まさに「創儀<者>」の第一歩では?
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