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2004-10-31

ノスタルジー  NO 960


 司会に関する資料を探すことがあり、昔のものを引っ張り出していると、20年前以上の資料原稿が出てきた。

 これがどんな文献から抜粋したものかの記憶はないが、私専用の原稿用紙に次のように書いてあった。

 「江戸時代、伊勢豊受大神宮の祠官『中西直方氏』の『死道百首』の中に、『日ノ本に生まれ出でにし益人(ますびと)は、神より出でて神に入るなり』と歌われている」

 「日本書紀での神葬祭は『土俗(くにひと)、此の神の魂(みたま)を祭るには、花の時には花を以って祭る。また、鼓、笛、幡旗(はた)を用(も)て歌ひて祭る』

 この資料だが、閉じてある表紙を確認すると「神道」関係ばかり。中に天理教らしい次の歌もあった。

 「親神様、神のやしろのお導き、ほこりを払うて陽気ぐらしの人づくり」

 当時はワープロなんてこの世になく、すべてが鉛筆書きで記されてある。短いフレーズのナレーションも山ほど出てきて懐かしかったが、今でも結構使えそうなものも見つかった。

 時間があれば、そんな原稿をパソコンに打ち込んでいくこともやりたいもの。それこそ生きた「証し」の置き土産となろうが、言葉で伝達するトーク技術を伝授することは簡単ではない。

 昔、ナレーションの流行が始まった頃、その原稿の大半が神式の祝詞みたいに「文語調」だった。それを今でもフレーズとして活用されている司会者さんもあり、無性に懐かしさと親しみを覚えてしまう。

 「今ありと思ひし花が明日に散りゆく定めとは。天命それぞれに命数の定めありと言えども、俄かに吹き荒れる無情の嵐。うつし世の美しい花を散らしゆく」

 「余りある惜別の情ひとしお悲しみ深く、ただ立ちゆきし人の過ぎみし方を、しばし思いて手向けせん」

 司会とは、そのトークの原稿にあっても、男性型と女性型とに分けて考えるべきだろう。

 例えば今の季節、男性ならば「紅葉は、葉の命の燃焼であると言われています」でもいいだろうが、そのままを女性が使うと難しい。そこでやさしく包むような雰囲気で語り掛けるイメージとなってくる。

 「紅葉は、葉の命が燃え尽きる直前の姿だと聞いたことがございます。燃え尽きた後、落ち葉となってパラパラと地上に舞い降りてくるのです。秋は限りある命の悲しみを思う季節かも知れません。しんしんと秋が深まり、しみじみと逝かれる人を送る今日お別れの時」

  「しんしん」とか「しみじみ」などは、一般的に重ね言葉として敬遠される考えもあるが、常識の範囲内であれば差し支えはないし、何より参列者の心の中に 「そうだよね」という感情が生まれる言葉を使いたいものだし、目で見る文字と耳で聞く文字の伝達の相違が難しい問題ではある。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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