2005-01-13
生き抜きと息抜き? NO 1035
あるメンバーからメールがあった。創業以来の新記録となる多忙な年末年始、スタッフ達が限界を超えたハードスケジュールをこなしていると書いていた。
私は、「忙しいということは崩壊の始まり」ということを過去に書いたことがある。
健康を害すること、手抜きをしてしまうこと、精神的に余裕をなくすること、気が付けば企業内部の何処かに歪を発生させる危険な時期。ここで最も重要なことは「人」に対する投資を惜しまないこと。また「人材」が「人<財>」にステップアップ出来る機会とも考えている。
葬祭業は明日のスケジュールが未定という仕事。何件ものご不幸が重なることも多くスタッフ達も大変だが、考えてみれば「お通夜」という全国共通のしきたりがある以上、葬儀の仕事は一般の方々が想像されるよりもハードな世界である。
そんな毎日の中、今日は予定外の嬉しい訪問者が。過去に弊社に在職していた女性司会者だが、子供を伴って隠れ家に。
時折に葬儀の司会を担当しているとのことだが、技術チェックをしたら「やさしさ」が数段アップしており、その要因に子供の存在があるとの分析で一致した。
在職中の司会に点数をつけたら50点、今は80点ぐらいに成長しており、<今後が楽しみ>と新しいヒントをプレゼントしておいたが、ナレーションという技術ばかりに目を向ける女性司会者が多いと嘆いていた。
さて、インターネット世界の「えにし」から取材が多くなり、今、数件の申し込みが入っているが、お断りをしたくなるようなケースもある。
高齢社会を背景に葬儀の話題が表面化してきている訳だが、プロの世界も全く知らないマスメディアが、勝手な想像でシナリオを描かれてからアポがある。そこに私は強い抵抗感を抱いてしまう。
NHKだろうが全国ネットだろうが、取材の原点と礼節すら理解出来ないプロデューサーやディレクターと会う気はないというのが私の考え。「そんな世界が あったの!」ということからシナリオを作れば全く異なる番組となるのに。これまで、そんな思いを何十回も体験してきた歴史があるから。
視聴率を目標とする番組プロデューサーと、人生終焉の儀式をプロデュースする私とは根本的に目的や思いが異なるのは仕方がないが、取材「してやる」姿勢は故人という存在に何より礼節を欠いている。
高級葬儀の実際の現場を撮影させてくださいという依頼が多いが、ジーンズ姿でやってくるカメラマンやスタッフ達、カメラという「機材」の前に心の「危罪?」を学んで欲しいと願っている。
お通夜に行く前、明日のラテンコンサートの準備をした。音響、照明のプロ達によって創造される空間演出。今回は、また新しい機材をセッティングくださった。見事に奏者のシルエットが浮かび上がる照明技術。「テレビ局レベルですよ」と言われた言葉に感謝した。
101歳のお方のお通夜、弔問者の方々が「肖りたいね」とおっしゃられたが、同級生、同窓生やお友達を全て送られてのお旅立ち。きっとあの世では拍手で迎えられるように思っている。
明後日のご葬儀にも90代のお方がおられる。今年になってからご長寿のお方が多い。ご家族から拝聴する人生取材、そこに長寿の秘訣が秘められているみた い。そんな思いを抱きながらシナリオを創作するが、明日のコンサートで「健康発声法」の時間をお願いしようと考えている。