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2005-02-12

心のオシャレ  NO 1065


 葬儀に行くと、「大丈夫?」「災難に遭遇したそうね?」と、多くの方々から見舞いのお言葉を頂戴する。これらは「独り言」の訪問者や、銭湯での姿から広がってしまっているみたい。

 中には「損害賠償を」と過激な発言をされる方もあるが、それらは「独り言」を読まれていない「又聞き」情報からだろうと推察する。

 幸いに腫れや痛みが随分楽になり、一部が黒ずみ痕跡として残っているがその内に消えることだろう。

 私はこんな被害者の立場になった時、<加害者にならなくてよかった>と思うことにしている。そうすることによって痛みが早く消え去るような気もするし、一つの不幸な出来事で、相手側に何か幸せを与えられたような心情が生まれるのだから不思議だ。

 交通事故のように他人を傷付けることは起きて欲しくないのは当たり前。これだけは誰もが被害者、加害者になりたくないもの。だから口やかましく「事故を起こすな」と社員に伝えている。

 さて、義理チョコのシーズン、頂戴して喜ぶ私も男の端くれ。年々にその数が少なくなって寂しい思い。そんな現実を笑う妻に対して、「妻の字が毒と見えたら倦怠期」という川柳を思い出して返しておいた。

 私には「心の恋人」がいっぱい存在している。それらは年々増えてくる。年齢は20代から90代まで幅広く、それぞれの方が素晴らしいハートを抱いておられ、私にない輝きを感じる人達だ。

 人に出会い、人に教えられる。人生で素晴らしい人との出会いが何よりの宝物。そう考えると私は幸せであり「絶対不幸でない」と言い切れる。

 シーンという空間を活用することによって新しい恋人も増えた。それらはコンサートという音楽を愛してくださる方々。人生のひとこまを「優雅」で「幸せ」に過ごしていただく時間が心を輝かせるよう。これからも男女を問わず、恋人増やしにつながるように頑張りたい。

 数日前、1912年生まれのお方の葬儀を担当、この年の社会背景として森永製菓のミルクキャラメル発表というナレーションを入れたが、現在の時代に同じ商品が並んでいるものをご覧になった際、故人のことが思い出されてくるシナリオが秘めてある。

 今日、1918年の文字が入った森永ミルクチョコレートの「包装紙」を頂戴した。中身であるチョコレートはなく、感動するお手紙とMDが納められており、<なんとオシャレな>と、そのお人柄に手を合わせ、30分以上も語ってくださる朗読を拝聴した。

 その後に私好みの音楽が数曲、思い付いたのが今月のコンサートのタイトル。そこに見事にマッチする曲達、開演前に大いに活用させていただくことにした。

 心の恋人に返信を書くのは何より難しい。「重い」人生を語るナレーションよりもエネルギーが伴うもの。それは書くという「想い」の伝達が苦手だから。お会いして語ったらどうなるだろうと考えてしまう。

 ちょっと内緒話を披露申し上げるが、ある高貴な女性と文章表現の勉強を目的として、「恋文ごっこ」をやったことがあった。平安時代や室町の時代に遡って恋文を書けばどうなるかということだったが、まあ難しく、すぐに現代に戻ってきた。

 当時にメールや絵文字なんて考えられなかったこと。社会の進化は「恋文」の世界までも変化させたよう。でも、いつまでも「心のオシャレ」を大切にしたいではないか。
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