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2005-02-10

ご不幸とラッキーナンバー  NO 1063


 現在「半病人?」である私だが、ゆっくり休んでおられない状況。

スタッフが次々にお客様のところへ飛び出して行き、企画室の事務所にも3人の女性スタッフしか残っておらず、ひっきりなしに掛かってくる電話対応に追われている。

 「隠れ家」にお客様の情報取材表が届けられてくる。目を通しながらプロデュースのキーワードを決定してナレーション創作を進めるが、パソコンを打つスピードが左腕の影響で遅くなって困っている。

 しかし、右腕にも支障があることにびっくり。お布施の袋の表書きをするのに筆が震えるのである。だが、その兆候は<病気?>ではなく、重いバッグを右手で提げてきたことが原因となる一時的な現象。しばらくして治まったので安堵した。

 ご当家担当責任者達から「お通夜、お願いします」と言われたが、どちらも地域の重職にあるお方。両家の距離が車で30分も離れているのに同時間に開式。心が焦っても身体はひとつ。<どちらに行くべきか?>と悩んでいた。

 昨日の病院から電話があったのは、そんな時だった。「お加減、いかがですか?」と担当の看護師さん。「随分よくなりましたから」とお返ししたが、<申し訳ありませんでした>の心情が波動として伝わってくる。

昨夜と今朝、自宅前のお医者さんご夫妻が特別に手当てをしてくださった。そのお陰で本当に痛みが楽になり助かったし、お通夜で帰宅が遅いからと、薬剤やガーゼをご用意くださっているとのこと。<なんと有り難いことだ>と感謝する。

 夕方、キャスティングの打ち合わせ。私は遠方の式場に行くことになったが、車のハンドルに左手は添えるだけ。より慎重に運転した。

そんな頃、出張予定日に、また困った問題が。自宅のすぐ近所の方のご不幸が飛び込んできたから。

 ご当家は、昨春の葬儀も私が司会を担当。今回「社長は、どうしたの?」と言われたら申し訳なく、何とか時間調整をする方向で考えている。

 一生に一回の葬儀というものは途轍もなく重いもの。故人やご遺族の「お心残り」の解決が少しでも出来たらという仕事、そこで後悔を発生させたら気の毒だ。

 さて、どちらも驚くほど弔問者があった。数百人なんて最近の大阪の葬儀では考えられない人数、スタッフ達がてんてこ舞いする状況だった。

 私が担当した故人、大正7年7月7日にお生まれ。そして平成7年7月7日に77歳の喜寿のお祝いをご家族で開催されている。そんなメモリアルボードが掲示されていたが、これだけ「7」の続くお方も珍しいだろう。

 そして喪主様の謝辞で故人の遺品の存在を拝聴し、弔問者の皆さんとご一緒に感銘を受けてきた。ご自身のお浄土行きのための装束に始まり、すべてに説明が記載されてあったそう。人生ご終焉をきっちりとまとめられてのご出立、いかにも大正生まれの女性らしいお方だった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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