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2005-04-25

事故の教訓  NO 1137


 昨日に行われた「偲ぶ会」の報告を受け、そのまま役員会議に入った。

 途中で何回か私への電話があり中断することになったが、社員達が提供する日常業務に於いて「作業」と「仕事」の違いについて、徹底して意識改革をするように命じた。

 これからの葬祭サービスは、ディレクター程度のレベルでは対応不可能な時代。弊社が指針する全社員「プロデューサー」という発想、それが急務な社会状況になってきたからである。

 最近の講演での質疑応答に多いのが葬儀変革ニーズの強烈な高まり。ご遺影を飾った祭壇を設け、そこで宗教儀礼が行われて焼香をというような、たった1時間の葬儀で終焉の儀式が進められていることに抵抗感が強くなっている。

  そんな疑問を抱かれた方々が集う団体の講演は大変だ。壇上に立ってマイクを手に表情を拝見すると、受講者皆さんからの敵意さえ感じられる。しかし、終了後 には「理解してくれている葬儀社も存在するのだ」と歓迎されることになるし、「こんな世界まで具現化している葬儀社にびっくり」というオリジナルサービス に賛同のお言葉をいただく。

 私は、こんなケースで講師を担当する場合、ちょっとしたシナリオで会場空間を神変させるテクニックを用いている。受講者の皆さんを自然の流れの中で会葬者という立場に意識転換させ、不思議な体感をプレゼントするのである。

 それには音楽と言葉の世界が欠かせない。そんな事情で主催者側に高度な音響設備をお願いしているし、無理となれば自社から持参することもある。

  さて、今日はJRの尼崎付近での大事故が起きた。また多くの尊い命が一瞬にして奪われてしまった。「行ってらっしゃい」「行ってきます」が最後に交わされ た言葉となり、「ご家族」が突然に「ご遺族」となってしまう。事故は誰も「得」をすることはない。不幸と悲劇がいっぱい生まれる。

 ここで犠牲となられた方々に手を合わせるのは勿論だが、手を合わせる側は自身の幸運にも感謝をするべきであろう。毎日の生活、また出張や旅行など、誰もが犠牲になる危険性がいっぱいある。

 滑り込みで乗車した人もいるだろうし、寸前に閉まったドアに<残念!>と見送って難を逃れた人もあるだろう。

「子供や伴侶と連絡が取れない。<もしや?>」とか、「携帯電話に出ないから」と心配になって、事故現場や遺体安置所を彷徨われる家族の姿が何とも痛ましい限り。被害者は死傷者の範囲に留まらず多く存在することになる。

 新幹線の「安全神話」だって、いつ崩壊するかもしれない筈。2ヶ月ほど前にコンピューター入力で誤作動が生じ、速度指定に変化があったと報じられていたが、前にも書いたように、今日を生き延びていることは、これまでの過去が幸運だったと考えるべき。

 冒頭に書いた「作業」と「仕事」だが、車、列車、飛行機、船などを運転操縦する場合
<家族を同乗させている>と思えば「仕事」になる。マンネリに流されてしまうと「作業」になってしまうということ。こちらは毎日、相手様は初めてと考えればその意味が理解できるだろう。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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