最新 最古
2005-06-02

人に歴史あり  NO 1175


 今日、私の担当の葬儀、お寺様とご相談のうえ、ちょっと式次第の時間配分を変えた。

 この形式も弊社のオリジナルバージョンで、スタッフ達には何度か経験させており、短時間の打ち合わせで実行可能となっている。

 開式の時間から6分間「命」をテーマにした朗読と故人への問い掛けを行い、そこから「奉儀」の特別形式。会場空間が儀式空間として完全に神変化できたと同時に特殊な音楽が流れ、導師が入場されるバージョンである。

 そして、すべての宗教儀式が終わって導師が退場された後、「愛」と「癒し」のひとときをお過ごしいただき、ご出棺の前に参列者全員にご参加願う「供養」と「功徳」をコンセプトにした「命の伝達式」に進んでいく。

 時間は計算通り、「ご出棺」のコメントと同時に何処かで時報を知らせるメロディーが聞こえてきた。

 この形式の場合、義理的会葬者の心情が一変し「義理」の文字が消え去ってしまう効果が生まれ、故人のご逝去によって送る人達が<生かされている>という思いを抱かれる。

 これまでご興味を抱かれ「ちょっと見せて」とおっしゃられたお寺様全員にご賛同を頂戴し、ご自身でも考えられると伺ったことがあるのでおかしなことではないと自負している。

  命の伝達式は、本来は導師をつとめられる宗教者がされるべきことだろう。いつも「読経」しか行わない葬儀式に疑問を抱き、やがて「誰かがしなければ」との 思いに駆られ行動した経緯があるが、本物の宗教者らしいお寺様に賛同いただき、所謂「葬式仏教タイプ」と称されるお寺様には抵抗感があることも面白い結果 だと思っている。

 読経主流に異論を唱える気持ちはないが、「読経のみ」というのには問題があると提起したいし、故人と遺族、親族、会葬者までの全員参加型の葬儀式が大切だと考える。

 さて、緊張する女性から手紙を頂戴した。過日に書いた「金子みすず」さんに関する資料を添付いただき、おなじ「みすず」という高橋三鈴さんのことについて触れられていた内容に嬉しく思った。

 私が「金子みすず」さんの詩に出合って感動したのは、もう30年ぐらい前のこと。ダイヤモンド社が発刊する「プレジデント」という雑誌を講読して特集掲載を読んだ時。

 このプレジデントの新刊を「今月号から贈ります」と、一年間プレゼントくださったのは浄土宗のお寺様。それから長年購読していたから出合ったことも不思議な「ご仏縁」である。

私 の葬儀は「金子みすず」さんの詩の存在を知らなかったら、きっと方向性が変わっていたように思うし「慈曲」「星名国際登録」「奉儀」「司式」「命の伝達 式」なんて絶対に存在していなかっただろうし、きっと日本トータライフ協会のメンバーも周囲に集まらなかったと思っている。

 今、そんな私に塾生達が集ってくれている。そして純粋に「葬儀」について学んでいる。みんな「愛」「癒し」「命」というテーマに真剣に取り組んでいる。

<もっと生きていて欲しかった>そして素晴らしい詩が誕生していたら、と「金子みすず」さんを愛しみ、音楽では「滝廉太郎」さんの短命が残念でならない。

 そんな私に「慈曲」を誕生させてくれた「高橋三鈴」さんの存在がある。上述のお二人への想い、それは、今、彼女に託する願いに秘められた「ご仏縁」なのである。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net