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2005-07-04

本 物  NO 1200


 西日本の各地で大雨、大阪も連日雨が降っているが、そんな中でお通夜を担当しているスタッフ達のことが気に掛かる。

 遠方のお寺で行われているお通夜だが、前回は体調不良で行けなかったことが申し訳なく、「無理をしないように」とご住職からお電話を頂戴したが、明日の進行を何とか担当したいと思っている。

  最近、大阪市内から離れた衛星都市のお客様が多い。このお寺のご住職は檀家さんとのコミュニケーションが素晴らしく、ご本堂で葬儀を行われる意義が見事に 伝わっているようで、おかしな表現で恐縮だが「本物志向」の葬儀を求められるお客様が多く、弊社も気合を入れて進行に携わっている。

 ご入場される導師のお姿ひとつが所謂「本物」、歩かれる足元さえ重みを感じるほどだし、開式前の「神変」も不必要なぐらいに厳粛空間が自然に生まれるのは、ご住職という「人」が導師をつとめられる雰囲気があるからだと感じている。

  核家族の社会にあって、都会では本家、分家という言葉も耳にしなくなりつつあり、葬儀の発生の際に「お寺様を紹介して」ということが多くなってきている が、「家」と「寺」というご仏縁は婚姻以上に責任があると考えたいし、我々葬儀社も「本物」のお寺様を紹介したいと真剣に考えている。

「格式あるお寺」「歴史あるお寺」「お布施が高額でないお寺」など様々なご要望を伺うこともあるが、集約するとやはり「お寺様らしい」人物ということになり、「いいお寺様を紹介いただいて」というお言葉が最高に嬉しい結果となるだろう。

 考えてみれば、その逆もあることになる。お寺様に「いい葬儀社を」と紹介依頼もある筈だ。そこで「いい葬儀社でした」と言ってくださるような仕事をつとめたいものだが、ここでも本物は本物とつながっているという構図があると言えるだろう。

 過去の新聞記事に「檀家であるが信者でない」という大きな見出しがあったが、都会では宗教意識の希薄化と檀家離れが確実に始まっている。

今年になってからお寺を変更された葬儀が10件近くあったのも驚きだが、「寺」と「家」から「住職」と「施主」という「人」の関係が重視されてきているのが現実だろう。

 私は「本物」の宗教者と多くのご仏縁を頂戴している。弊社に多くのお寺様が来社くださるが、若い新人社員でさえ初対面で「本物のお寺様だ」と感じるようで、この「らしさ」こそが重要だと考えている。

 つい最近だったが、お寺の山門に張られる掲示板制作の依頼で来社されたお寺様、若いスタッフに「衣が導師をつとめるのではなく、中身である住職という人が導師をつとめるもの」と説教くださったことが印象に残っている。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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