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2005-07-22

形骸化?  NO 1218


 今年は終戦から60年、来月は広島、長崎の追悼式典が厳粛に行われるだろうが、今日は、そこで捧げられる「黙祷」について考えてみたい。

 我々葬儀の司会者は、開式前に必然として「黙祷」を促すコメントを発しているが、どんな思いでその言葉を発言しているかを気に掛けている人がどれだけ存在するか疑問を抱いている。

  最近に多い女性の司会者さんが観光案内的イメージで「皆様、恐れ入りますがご起立くださいませ。開式にあたりまして、今は亡き故人のご生前のご遺徳をお偲 び申し上げ黙祷を捧げたいと存じます。ご霊前に向かわれまして黙祷」なんてアナウンスを耳にするが、間違いなく形骸化されてしまっていると提起したいとこ ろである。

 誤解されたくないので付記するが、上記のコメントの中で「黙祷」「ご霊前」は浄土真宗系では禁句であることは常識だが、今日のテーマは、そんな宗教的な問題ではない。

 上記のコメントで黙祷を捧げられる方々の心の中で<何を浮かべているのだろうか?>と推測すると、義理的参列者だけではなく、そこにおられる大半の方々自身も抵抗感のない「開式バージョン」として形骸化されてしまっていると分析できないだろうか?

 そんなところから私の黙祷バージョンは全く異なる特殊な世界で進めているが、それらはセミナーなどを通じて協会のメンバーや塾生達の共感を得るところとなり、全国で実践されるようになってきている。

 遺族だけではなく義理的会葬者を含めて心から黙祷を捧げられる世界の完成、それはそれほど難しいことではなく、ちょっとした言葉の組合わせで見事に変化するものであり、そんなテクニックを教えるのは私以外にいないと自負している。

 内容については企業秘密もありここでの公開は叶わないが、オープニングのたったこれだけの形式だけで葬送の儀式が閉式まで厳粛になるのは確か。それは体感された人にしか理解できないことだろう。

  さて、過去にも書いたが「1分間の黙祷」は現実的に無理がある。目を瞑って1分間立っていたら分かるだろうが、大半の方がふらふらされる。出来るだけ短い 時間で長く黙祷いただいた雰囲気作りもプロの仕事、それもちょっとした言葉のサービスで可能となるので考えて欲しいテーマである。

 大震 災、豪雨、大火災、列車や航空機事故、台風の被害など、多くの方々の犠牲に祈りを捧げる想い。また遺族になった方々や負傷された方々へ慰めや励ましの想 い。それらをひとつにして「祈り」を捧げる行為。そんなことを全国で一斉にというのは戦没者慰霊式典ということになるが、これも真剣に考えるなら現在の形 式は形骸化されていると言えるだろう。

 これらの疑問を見事に解決させた事例があるので紹介しよう。昨年、スマトラで大地震があり津波で多くの犠牲者があったが、正月を過ぎた頃、ヨーロッパで「スリー・ミニッツ・サイレンス」という慰霊式典が行われていた。

 3分間、すべての行動をストップさせる協力を25カ国、4億以上の人々が実践していたのである。

  電車やバスはあらかじめ駅に停車してその時間を迎える。すべての協会の鐘が一斉に鳴り出す。すべての人が歩行を止め車も停車する。そしてホテルから商店ま で全部が営業をストップさせる。そんな時間が止まったようなひとときが3分間、幼い子供達の心にも特別な思いが伝達出来た筈。前述の形骸化式典との違いは 一目瞭然であろう。 

 我々日本人は、そんな世界で随分遅れがあるように感じている。
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