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2005-09-14

回顧から  NO 1270


 仕事の合間にメールの返信、20数通の返信を終えてホッとした。

 衆院選が終わり自民党の圧勝、与党が三分の二という事実に「憲法改正が?」という風評が流れ、新潟の名物オバサン田中氏もそんな発言をしていた。 

 野党議員の言葉に多い「三分の二」だが、現在の憲法がそれだけで改正できる簡単なものではないことを理解したいもの。

 中学生の頃、何からそうなったのかは記憶にないが、日本国憲法の条文の暗記に挑戦したことがあり、改正に関する96条については今でもスラスラ言えるから不思議である。

 そんな昔のことを考えていたら、社会科を担当していた先生の言葉を思い出した。

どちらかといえば今で言われる左翼思想?と思える方だが、「お前達のこれからの生涯で96条が表面化した時、それは未来のことをしっかりと考えなければならない時だ」という言葉で感慨深く回顧した。

各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議し、これを国民に提案し、その承認を経なければならない。その承認には国民の特別投票、または国会の定める選挙の際行われる投票においてその過半数を必要とする。

 確か、上記の条文だった筈だが、最終結論は国民の投票に委ねられることになり、よほど国民を納得させられる内容でない限り、過半数の数字は難しいと考えている。

 特に「戦争放棄」という9条に関しては、自衛隊の存在もあり、地震や台風などの自然災害、アメリカとの安全保障、独裁的隣国の存在という現実からも複雑な問題が秘められ、今回の郵政改革とは比較対照にならない重要な決断が求められるだろう。

 それにしても与党、野党を問わず議員達の「国民は・・・」という発言が多くて不愉快ではないか。それが我々国民の「総意」であるかのような勝手な驕りに聞こえるのは私だけだろうか。

 少なくとも「国民の皆さんの中には」程度の謙虚な姿勢で語るべき。そこに政治家としての人物観がはっきりと見える。

 今回の選挙で若い政治家が増えた。「地元のために」もいいだろうが、地球規模で物事を考える「器」に育って欲しいもの。未来を見据える際、そこに自身の孫や曾孫の将来を大切に。孫がなければ出来るまで謙虚に。彼らに葬儀で学んだそんな言葉を贈りたい。

  さて、今日の結びに話題の選挙区で勝利を得られた「野田聖子」氏のインタビュー発言に寂しさを覚えた。「選挙が終わったら次の選挙に向けて努力するのみ」 なんてふざけた言葉は、それこそ勝利者の驕り。彼女も議員という肩書きだけに固執する<政治屋だったのか?>と衝撃を受けた。
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