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2005-09-25

晴れのち曇り?  NO 1281


 台風の影響だろうか風の強い大阪、秋特有の日中の日差しには辟易、格好悪いだろうが女性のように日傘を差して歩きたい気持ち。

 祝日のコンサートが終わり、続いて日曜日のコンサート準備。前売り券はすべて売り切れ、当日券を求めて来られるお客様の対応が難しそうで悩んでいる。

 主催者側の要望で身障者の方々の専用席も決定し、リハーサルも無事に終わった。

 オープニングで放映されるフォトビデオも完成した。葬儀の追憶ビデオでは絶対に表現出来ない仕掛けがいっぱい。制作を担当した女性スタッフの感性が見事に表現されていた。

 私も5分程度のビデオを編集している。それは出演者の昔の映像をつなぎ合わせたもの。お預かりしたビデオを拝見しながら<どの部分をどの程度?>と苦労した。

 今回のチャリティー・コンサートは、ライオンズ・クラブ活動みたいに弊社のスタッフは労力奉仕。私も音響と照明係りとしてお手伝い。果たしてシナリオ通りに運ぶか心配している。

 さて、塾生のブログを訪問したらネット社会特有の淋しい出来事が綴られていた。ネットの掲示板では誹謗中傷が当たり前、私なんて山ほど出て来るから最初から諦めている。

 世の中、人は様々。与えられた人生をどう過ごすかは自身が考えること。独り言やブログは「生きた証し」で綴ればよく、自身が死を悟った時に余力があれば削除してこの世を去るのもいいだろう。

 昨日、友人の割烹に面白いお客さんがいた。彼は狂人的な阪神ファンで、星野監督で優勝した際に道頓堀に飛び込んだそう。

「一週間ほど体調を崩して大変だった」との思い出話し、「恥ずかしいから誰にも言わないで」と奥さんに言われて参ったとのこと。

「ばい菌いっぱいなのに『度胸』ありますな?」と割烹のオヤジ、そこで彼が「もうちょっとで『読経』されるところやった」と返して大笑い。

 飛び込む行為を勇気と称する人もあるだろう。一方でお金を積まれても飛び込まないという人もいるのが社会。大切に考えたいことは、子供を飛び越して孫に誇れることをしたいということ。

「お爺ちゃんは、昔、ここに飛び込んだことがある」と誇りになれば幸いだが、秘密にしてしまうこと、また「お前はするなよ」と諭しているかもしれないだろう。

「書く」ことは恥を「掻く」ことと何度も書いたが、私はこれからも続けていく。なぜなら葬儀の仕事に従事して「生かされている」ことを学べたから。

「生きている間に何かよいことを?」と問われ、「献血だけです」と答えるのも淋しいこと。<もうちょっと何か>と考えながら過ごしたい。

「死は前からやって来るものではなく、後ろからやって来るもの」と高僧が説かれていたが「生かされた証」を残せることは幸せなこと。

「出たとこ勝@負ログ」さんのページに書かれていたが、世界で一秒に一人というスピードでブログが誕生しているそうだ。中には誹謗と中傷される存在になることも名誉という考えの方もおられるかも。

 人は、誰もが前面と裏面に「鏡」を有している。時には曇ってしまうこともあるだろうが、出来るだけ研いておきたいもの。曇った時、天は、それを「心が貧しくなった」と言うそうな。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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