2005-09-30
変化の時代がすぐそこに NO 1286
今日の走行距離は220キロ、咽喉の調子のためにエアコン使用を出来るだけ少なくし、秋の自然の風を感じながら積み込んだペットボトルのお茶を味わいながら走ってきた。
訪れた先で琵琶湖の歴史を拝聴するひとときがあったが、一年間に3センチぐらい北西に移動しているそうで、何れは日本海につながってしまうと聞いて地球の動きに驚いた。
今日、北極の氷についてアメリカの研究者達が発表したニュースがあったが、地球温暖化の影響で氷の面積が著しく減少しているそう。夏に氷が見当たらない時 代が訪れるだろうという恐ろしい予想、自然に対する驕りを真剣に学び、謙虚な姿勢で後世の人達に何より大切なものを残していかなければならないと結んでい た。
そんな中、阪神タイガースの優勝決定、あちこちで強烈なファン達の祝勝会の様子も報じられていたが、平和や幸せとは何かを考えている中、ふと矛盾という寂しさを覚えてしまった。
恒例となった祝勝会場のビールの掛け合いの光景、これにも様々な意見もあるだろうが、大人の世界で「ごっこ」に見える行動は物議を醸し出す要因ともなるだろう。
一方でビール賭け、一方で悲しみの通夜が全国で行われている現実、このギャップに毎年考えさせられている私、何でも「お祭り」にしてしまうマスメディアの姿勢には侘しい思いも抱いてしまう。
今日も遠方から事前相談があったそうだが、一方で走行中に携帯電話が鳴り、出ることが出来ずに最寄のサービスエリアで着信番号を確認して掛け直したら知人からの事前相談だった。
土日が連休となっている仕事、そこでお父さんがなくなった場合に日程を延ばすことが可能かという問い合わせだが、参列して欲しい方、して欲しくない人の存在を整理したいそうで、密葬を済ませて招待形式による「お別れ会」か「偲ぶ会」の開催もあるとアドバイスしておいた。
「そんな形式があるのか!?」と興味を示した知人、その進め方について詳しく説明したら納得、デメリットとメリットの両方をて丁寧に説明すると「難得する」と既成の葬儀に対する強い疑問感を抱いてくれた。
マンネリ、勝手な思い込みで進められてきてしまっている現在の葬儀、そこには改革するべき多くの問題が秘められている。昨日と今日に続いて行った講義、そ こで重視して提案した「孝行」についての意味も理解したようで、どうやら私の提案した家族葬とお別れ会という二部構成に心の扉を開けてくれる結果となっ た。
社内で新しい企画が進められている。それはこれまでなかった新しい葬儀のありかた。スタートすることになれば参列された方々の体感で賛同が生まれ、瞬く内に全国に広がってしまうような気がしている。
その原動力として表面化するのが団塊世代の存在、彼らは納得できることさえ出来れば行動する柔和な感受性を持っていることを理解したいものである。
葬儀は間違いなく変わる。「このままでは」と思っている人達がどれだけ多いかを知るにはリサーチが重要、セミナーや講演活動の質疑応答で得られるこれらの結果は、それこそ私にとって最高の情報把握にもなっているのである。