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2005-10-26

懐かしい人物から  NO 1313


 今月末になって退任や新任を知らせる手紙が多い。今日も2軒の一流ホテルの役員人事異動の挨拶が入っていたし、ある県警の重職から警察庁に栄転した人物からもあった。

  彼とは同級生の間柄、ここで懐かしい思い出を披露。若かりし頃、スポーツに励んでいた私、遅くまで練習をしてから皆でお好み焼きを食べ、そこで振舞って 貰ったミカンをいっぱいいただいたのだが、次の日の早朝から腹部に激痛、病院へ行ったら急性虫垂炎といこうとで入院手術となった。

 手術後は笑いやクシャミは厳禁、それは体験者にしか分からないだろうが、猛烈に痛みを伴うもの。彼は、見舞いに来ては笑わそうというタイプだったので往生した。

 そんなことや練習も出来ないこともあって、母方の田舎である伊勢志摩に一週間ほど行くことに。祖母に食事の世話をして貰ってのんびり養生したが、近くの川で魚釣りをするぐらいで退屈そのものだった。

 入院していたのは確か8日間ぐらいだったが、鍛えていた身体が一気に弱ってしまい、そこでトレーニングを兼ねて山登りをすることを決めた。

 手頃な山として近くにあったのが青峰山、標高336メートルだが頂上に真言宗のお寺があり、海上の船の安全祈願と海女さん達の信仰の対象として歴史に名高いところ。

 現在の近鉄線が当時は志摩電鉄と呼ばれており、誰もがコースと考える鳥羽駅に近い松尾駅や五知駅側の登山口から行くのを避け、敢えて急勾配である磯部町からアタック、沓掛駅の近くを通って閑散とする登山道を上がった。

 このコースを選ぶのは、恐らく1000人に1人という程度のもの。昭和40年頃のこと、地元の人でも帰路しか通らないという険しい行程であった。

 途中でへばってしまったの当たり前、膝が笑うような状態でガクガクする。休憩したくともあまりにも静か過ぎて恐怖感。無我夢中で上って行ったことをはっきりと覚えている。

 頂上近くまで来ると遠くに太平洋が見えるのが絶景、視界に的矢湾も入って来る。

 この青峰山は、もうひとつ有名なことがある。これは、それから20年も経ってから知ったことだが、貝や植物の古代化石が多く発見されるから。詳しくは知らないが、ジュラ紀のものが発見されたと何かで読んだ記憶がある。

 現在の近鉄線の特急停車駅である磯部町だが、この周辺に母方の親戚が数軒ある。その内の2軒は元近衛兵だし、1軒は伊勢神宮の宮司を務めたというのだから格式が高く、私には近寄り難い雰囲気があった。

 あれから40年近い月日が流れた。最近、四国の霊場めぐりがブームだそうだが、俗世間を離れて山を歩くことは自身を見つめ直すことにもなる。秋の青空を眺めながら彼との昔を思い出した私、ふと、山登りのことを考えた今日の日だった。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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