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2006-01-30

固定と流動?  NO 1410


 全国に葬儀専門式場が続々と増え、お寺の本堂を式場として拝借することが激減している。

 高齢者の増加、椅子に慣れた生活環境の変化から正座に対する抵抗感、またエアコンという背景もあっただろうが、ご本堂で通夜と葬儀を行う「意義」の重要性が薄らいでしまったことは淋しいところである。

 世間には「あそこのお寺は二日間で*十万円」というような式場使用料が風評として流れ、経済負担の少ない地域会館を利用されることも少なくない。

  もう30年前に書いたことだが、お寺の式場使用料は「流動的であるべき」と提起したことがある。付き合いが広く盛大に行う場合と、小規模人数だが自宅では 物理的に不可能だからお寺を拝借するケースでは使用料を変えるべきというのが私の考え、それが「当山は、一律*十万円です」と規定されていたお寺の考え方 に強い抵抗感を覚えていた。

 前者では100万円でもよいし、後者は数万円でもよいのでは。そんな「布施」の本義につながる大切なことが薄らいでしまい、単なる「貸し」会場に「化し」ていたことが残念でならなかった。

懇意にしているお寺での通夜法話が印象に残っている。随分と昔の夏の話だが、住職が次のように説かれた。

「皆 さん、暑いでしょう。上着をご自由に脱いでください。まずは、エアコンがない不便に対して、故人と私とで、ご弔問された皆様に『ごめんなさい』と手を合わ せます。でも、故人が何よりお喜びであることを忘れないでいただきたいのです。それは、ご弔問くださったこともありますが、故人が信仰されていた宗教のご 本尊の前でお通夜と葬儀が行われるということなのです」

 そこからどんなお話しになったのかはご想像に任せるが、この時の式場拝借料は「如何ほどでも結構です。ご本尊にお供えを」だった。

 ご遺族から相談を受けたのは当然だが、内緒でご住職に伺いに行ったら「遺族が悩まれることも供養ですから」と返され、私も一緒に悩んだ出来事であった。

 親戚の方々も参加されて夜遅くまで話し合ったが、どなたも抵抗感が一切なかったので有意義な時間を感じ、次の日にご用意された金額は皆さんご納得のもの、町の風評の3倍以上、それこそ「施し」の本義実践であり「程超し」ではなかった。

 さて、一方で自治体が規定した「福祉葬儀」の存在があり、地域の民生委員の方からの依頼で担当することがあるが、役所の資料で我々業者が立て替える「お布施」の項目が「読経料」となっている現実が淋しいこと。

 また、そんな民生葬儀で定められた「お布施」の金額で、気持ちよく「お供養ですから」と仰ってくださるお寺も少なくなったことも悲しいこと。でも、私のお付き合いのあるお寺には「お布施は必要ないよ」という方も何人かおられるのは嬉しいこと。

 この問題で欠如していることを指摘するが、自治体の長である市長名で仏教会にお願いの文書を出すべきと考えているのは、果たして私だけなのだろうか?

 来月、ある「えにし」から市長と顔を会わせる機会があるが、そんなことに耳を傾ける人物だったら救われるのだが、まず無理な人柄のような気がする。ホームレス撤去対応のニュースを観ながら、そんな思いを抱いた今日だった。
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