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2006-01-03

鐘の音に託した思い  NO 1382 


 元日からスタッフ達が活動してくれている。私の温泉旅行もキャンセルしたが、落ち着いてから出掛けることにしようと考え銭湯の朝風呂の酒風呂で「禊ぎ」。お酒の銘柄は百人一首の姫が描かれたラベル「あやめ御前」だった。

 出勤してから机の上に置かれた年賀状の整理、こんな私にこんなたくさんの方々が。感謝申し上げながら拝読させていただいたが、宗教者の方々のものも多く、数々の素晴らしいお言葉を紹介申し上げるだけでも半年ぐらい「独り言」が続けられるだろう。

 そんな中から、若いご住職が「北原白秋」の言葉を引用されていたので紹介を。

『ひとつのことばでけんかして ひとつのことばでなかなおり ひとつのことばでおじぎして ひとつのことばになかされた ひとつのことばはそれぞれに ひとつのこころをもっている』

 また、あるご夫婦が「余生を大切に」と考えられ、老舗であった飲食店を廃業転宅されての年賀状、『人情も温かさもないマンション生活 いつまで我慢できるでしょうか』とあり、変わりつつある世相を感じる一文に寂しさを覚えた。

 さて、昨号に書いたこと。昨年に悲しい葬儀を担当していた。女性スタッフが涙を流しながら画像創作、かわいい生後数ヶ月の赤ちゃんの写真、大きなメモリアルボードにはアンパンマンやドラえもんなどのキャラクターでやさしく包む世界が描かれていた。

 お飾り付けに立ち会った私、担当の女性スタッフ達が涙を流しながら設営している光景に、どうしても孫と被さってしまう。出来るだけご遺族だけの時間を設けるようアドバイスしておいた。

 お寺様をご紹介申し上げるのも癒しと慰めを重視して遠方の特別なお方にお願いし、お布施も特別に御配慮くださった。

 こんな年末に「お気の毒ですね。私がお供養に参ります」と仰ってくださったご住職、お通夜のお経の中に口語調の一説を入れられ、閉式前に何とも表現できないご詠歌を詠ってくださって思わず手を合わせた。

 本当に短い生涯だったけど、懸命に病気と闘っていたと拝察する。赤ちゃんは間違いなくお母さんのお腹の中に「生」を宿りこの世に誕生、そしてご両親の深い愛情に包まれて数ヶ月を過ごしていた。

スタッフと相談して創作した祭壇コンセプトは「子供部屋」、「ご自由に」とご両親に申し上げたことからオモチャや縫いぐるみで可愛くやさしく完成した。

 やがて葬儀が終わり、ご出棺。瓜破斎場までの車中で「赤ちゃんのために除夜の鐘は?と」提案申し上げていた。

 そして大晦日、除夜の鐘が始まったのは午後11時45分頃だった。私の役目は十夜法要などの「お塔婆」の焚き上げ、多くの檀家さん達が厄除けのお飾りを持参されて来られ、併せてそれらも焚き上げる。

 午前0時を回った頃にはたくさんの人達の行列、その中には鐘の音を耳にして寄られた人達も多く、幼い子供からお年寄りまで、それこそ「老若男女」が集われていた。

数珠を片手に「お塔婆」に書き込まれた文字を上から下まで目を通し「南無阿弥陀仏」と唱えて火の中に入れるが、「童子・童女・孩子・孩女・嬰子・嬰女」など、赤ちゃんや幼い子供達に命名される戒名の文字が目に留まる。

 行列の最後の方が突かれた頃、時計を見ると午前0時40分。積まれていた「お塔婆」の全てが炊き上がったのも同時だったが、奥の方から檀家さんが30枚程ご持参、また点火をやり直して再度の焚き上げ。

 それから20分程経った頃、鐘楼門から突然の鐘の音が2回鳴った。時間は1時を少し回っていたが、しばらくすると、ご住職がお2人を伴われて私の方へ。

 それは、上述の赤ちゃんのご両親。お父さんの手に写真が抱かれており、そこから境内にある3箇所のお地蔵さんをご案内。赤ちゃんを抱かれた大きなお地蔵さんの前で、お2人は5分間ぐらい手を合わせておられた。

 このご住職が導師をお勤めくださったお方。互いに無言で「よかったですね」の心の流れ。考えてみれば「お塔婆」の追加が出て来なかったらお二人とは会えなかったし、除夜の鐘を突かれることもなかっただろう。

 その鐘の音の響きが残っている。ご両親の心の中にしっかりと生きている赤ちゃんだが、私やスタッフ達も生涯忘れられない思い出として残っている。一年後の除夜の鐘、お塔婆のお焚き上げ、その中にこの赤ちゃんの「嬰子」という文字を目にすることになるだろう。

 私の大晦日から新年の幕明け、そんな「命」のご仏縁に「赤ちゃんの生きた証し」を刻み込み、手を合わせたひとときであった。
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