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2019-10-21

振り返って  NO 8613

パースで撮影した1枚台風20号の接近による影響で夕方か雨が振り始め、午後9時を過ぎる頃には雨脚が強くなった。

夜のニュース記事を見ていると台風19号の犠牲者が80人を超えたそうだ。河川の決壊による浸水が大きな被害に及んだようだが、東京の都心部を守った地下の神殿と称される施設が機能したみたいだが、90%まで達していたのでもう少しで大変な事になるところだった。

20号は温帯低気圧になるそうで強風に関しては心配ないみたいだが、秋雨前線を刺激することは確かで、大雨には警戒をする必要がある。

続いてやって来る21号はかなり発達するみたいだが、東寄りに進んで上陸はしないようで安堵している。

さて、オーストラリアのカンタス航空が試験飛行でニューヨークからシドニーへ飛んだニュースがあった。飛行時間19時間を超すフライトだが、機内では「時差ぼけ」に関する試験的なテストも行われたみたいだが、ロンドンとシドニーを20時間掛けて飛行することも出ていた。
長時間のフライトは体内時計を狂わすことになり、スポーツのプロなどは時差ぼけをしないような行程で現地に乗り込むようだが、我々高齢者にとっては10時間でも大変な長距離となる。
5年前に成田からシドニーへ日本航空で飛び、1時間半の乗り継ぎでパースへ5時間の飛行をカンタス航空で体験したが、時差があまりなかったので助かった。

国際的な飛行の規約が存在するそうで、二つのエンジンを有する双発機と4基のエンジンを有する機種では飛行ルートの制限が異なっているそうで、それは機内で急病人が出たりエンジンの故障で不時着したりした場合に救援対策が異なって考えられているからで、エンジンの故障は双発機の方が恐ろしいということになる。

地球の裏側という言葉があるが、30歳の時に羽田からブラジルのサンパウロへ飛んだことがある。当時は中東やヨーロッパ経由の航路はなく、太平洋上を飛んでアラスカのアンカレッジに立ち寄り、ロスアンゼルス、ペルーのリマを経由してリオデジャネイロで乗り換えてサンパウロへ入った。

機種は当時の花形であった「ボーイング707型機」で、4基のエンジンを有する飛行機だった。アンカレッジでは給油だけだったので2時間ほど機内にいたが、気圧のコントロールの不備からか耳の奥が痛いと訴える人や頭痛の人が多数出たことを憶えているが、あの時に体験した耳の奥の激痛は今でも忘れられないほど強烈なものだった。

当時にハイジャックなんて問題はなかったのでコックピットの扉も開けっ放しで、操縦席の計器まではっきりと見えていた。

妻の実家に関係する親戚がサンパウロの県人会の会長をしており、大阪万博の時に来日され、ロイヤルホテルで面会したが、その時に妻の両親が約束したことを我ら夫婦に託されたことから出掛けたものだが、飛行機嫌いの私にとっては想像するだけでも恐怖感に襲われ、現地までの所要時間が36時間と聞いてゾッとしたことを憶えている。

県人会の会長さんの長女の家にも立ち寄ったが、ラジオ局を経営しているご主人はドイツ系の人物で、小学生ぐらいの子供達が卓球をやっていたので対戦したら、そこにいた子供達の表情が激変し、1人が飛び出していったと思ったら中学生ぐらいの卓球選手という仲間を連れてきた。当時はまだ現役選手を止めた頃で、まだ身体が動くレベルだったので彼らが驚いたのも無理はなく、様々なサーブの指導をやったことも懐かしい。

3日間、その家でお世話になったが、会長さんのご長男の家へ行くことになってお別れをした際、息子さんと娘さんが泣きながら玄関まで見送ってくれたことが印象に残っている。

ご長男の孫に当たる人物が妻に日本語を勉強していると言って「平仮名」ばかりの手紙を何度か貰ったが、彼女がプラハに在住し、友人と一緒に来日し、神戸のホテルで会って神戸港を散歩したのも2年前のことだった。

世界中に知人や友人がいると言うことも幸せなことで、オーストラリアへ行ったのも我が家を階上とした英会話教室が行われていたことがあり、その時の教師達と妻が交流していたことがあったからで、日本に滞在しているときは松阪の「海津」へ連れて行ったこともあり、70歳になったら再会しようねと約束していたが、体調が芳しくなく、前倒しをして5年前に行った事情があった。

彼女は西オーストラリア州の日本語教育の会長を務めており、ニセコでスキーがしたいと言っていたが、まだその実現は果たしていないようだ。

今日の写真はパースの日本料理店で鉄板の上に塩で文字を書いた物だが、カウンター側から行ったものなので反対に書いたということになる。
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