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2024-12-18

明日は冷え込むみたい  NО 10148

高知の丘崎葬儀社さんから届いた強化をン妻の仏前に供えたが、四万十川を観に行った際に窪川駅から「特急あしずり」で高知に着き2時間ほど貸与ってお話をしたひと時が蘇って来た。

岡崎社長の凄さを伝えていたが、妻はその2時間で彼女の凄さを実感したと語っていた。
高知駅から「特急南風」で岡山に着き、「さくら」で新大阪に帰って来たが、この時の切符を寺田町駅で購入したが、一泊の旅で切符が24枚だったことを憶えており、購入時に後列におられた若い女性が「凄い鉄旅ですね」と言っておられたことも懐かしい。

友人の割烹の火災だが、火元ではなく類焼だったのが救いだがまた再開できることを願って手を合わせている。見舞いに行きたいが体調が優れず苛立っている。全国的に火災が多いが膝下に気を付けなければならない

今日来宅してくれたヘルパーさんがいろいろ片づけをしてくれて感謝している。彼女が机の上にあった会葬礼状を目にして確認したら、私が喪主になっている妻の通夜の物だった。

過日に娘がやって来た時に私の好物を置いて行ってくれた。それは「やちまた」の落花生で、足元をゴミだらけにして食べている。

山形県から立派なリンゴが届いて恐縮していたら、また宅配が届いて対応したら八戸から出、青森名産の長芋で、毎年この時期に送ってくださるので手を合わせている。妻と洞爺湖から箱Ðさ手に行き、「特急スーパー白鳥」で新青森駅で新幹線に乗り換え、八戸へ立ち寄ったがその時に料亭でお母さんと一緒に食事をしたことが思い出される。

次の日、新幹線で一ノ瀬駅でドラゴン線で気仙沼に立ち寄ったが、その頃から腹部に鈍痛を感じており、帰阪して入院することになったが、それは「膵炎」の2回目の発症だった。

函館の旅館で夕食時に出された食前酒を飲んだことが悪かったみたいで。アルコールを一滴でも飲んだらダメと体感した出来事だった。

この時に入院は前回の日赤が満床だったので仕方なく大阪鉄道病院に入院したが、委sっ夕刊後に日赤へ転院する際に乗った車の中で道路の継ぎ目から伝わる振動が激痛を伴ったことも忘れられない。

入院時に運動不足になると考えて点滴をぶら下げて廊下に出たとたんにかんっご資産に見つかり「絶対安静です」と叱られたことを憶えている。

久世栄三郎の独り言(携帯版)
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