2003-03-16

ホテル業界の変化    NO 374

朝、駐車場に行くと大きな観音様が祀られていた。前号でしたためたように、百観音というのはこの旅館の山手にあるそうだ。

 女将さんから伺ったお話、私の頼りない伝聞が不確かで恐縮だが次のようなことだった。

 日露戦争に出兵された村の方々の無事な帰還を祈念され、地元のお寺の和尚さんが町まで托鉢に出掛けられ、集まった浄財で観音様を建立されたそうだ。

 お陰で全員が怪我もなく帰還され、やがて、感謝報恩の信仰が始まり、多くの観音様が祀られるようになったと言うが、そこから次々に不思議で霊験灼かなご利益を授かるところとなり、一挙に信仰が深まった歴史が伝わっている。

 この旅館の玄関を入ると、正面に観音様が鎮座されている。これは、ご主人が手造りされた立派なもの。そこから始まったお祭りは、NHKテレビをはじめとするマスメディアで世の中に伝播され、温泉と共に知る人ぞ知るという存在になっていた。

 さて、本来の目的であるホテルに行った。広大な敷地の中に贅沢に建てられたホテル。芝生の上で新郎新婦が記念撮影をしている光景が目に入ったが、別の棟では「お別れ会」が行われているし、コンサートも開催されている。

 ロビーに置かれているパンフレット類、そこにも人生の通過儀礼のすべてがサービス構築されたかたちで表現され、ブライダルと法要が段違いで並んでいる。

 数年前までは考えられなかったホテルサービスが、現実にこんな様相を呈してきているのである。

  全国の幾つかのホテルでは通夜、告別式が行われているし、昨年には有名な結婚式場の別棟で社葬が行われ、ご出棺をしている光景を数百人の参列者が見送られ ていたが、その多くの方々が、「こんな時代か」「そう言えば、最近、ホテルでの葬儀が流行しているな」という認識が生まれ、予想していた抵抗感や違和感が 急激に弱まっているのも事実。

 それらは、そんな時代の到来を16年前に先見発表した私の立場が、やっと狂人扱いされなくなっってきた証しともなり、去就の迷いが吹っ切れた思いを抱きながら懐かしさを感じているところである。

 午後を過ぎると雨が降り出した。すべてが終わって東名高速道路に入った頃には土砂降り。お陰で豊田と三好間、そして大津と瀬田の間で渋滞に遭遇し、お疲れモードでやっと帰阪した。

 丁度渋滞に巻き込まれている最中、携帯電話が鳴った。時速10キロ以下のノロノロ運転なので応答すると、相手は会社の女性スタッフ。私の知人の身内に不幸が発生し、葬儀の依頼があったとのこと。

 知人という方は、大規模なホテルの宿泊支配人。日程からすると明後日ということになりそうだが、明後日は大変な日。ライオンズクラブの記念日でナレーターを担当することになっている。

 明日は、その原稿の創作も控えている。去年のこの日はナレーターを済ませた足でそのまま東京に飛んだことを思い出した。この日は毎年スケジュールの調整で悩む日。あれから1年、また齢を重ねたことを実感した。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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