2004-04-21

国 語   NO 770

昨夜、久し振りに姉達と会った。目的は、母の米寿祝いの食事会。しかし、私は葬儀の仕事に従事する者。その場の話題がどうしても母の葬儀になってしまった。

 式場は? 祭壇イメージは? そんな会話が明るく出来るのは葬儀を生業としてきたから。互いが幼かった頃の苦労話に時間を忘れた。

 葬儀社の葬儀は大変だ。親父を送った時のことが甦るし、これまで私が司会を担当させていただいた多くの同業者の葬儀のことも思い浮かぶ。

 自身が母の葬儀の司会をすることは不可能だが、家族葬、自由葬、ホテル葬など、これまでお客様に提案してきた様々な葬送の形式を考え併せても、「こうあるべきだ」という結論に至るのは難しい。

 やはり、その「Xデー」を迎えた際に最上の「かたち」を考え付くだろうと思っている。

  どうしてもやらせたいことがある。それは、私の孫からの「命の伝達を有り難う」という感謝とお別れのことば。本人からすれば曾孫からの奉呈となるが、しっ かりとした「あいうえお」国語のマスタ、また存命中のコミュニケーションを密にする必要があることから、まだ数年は生きていて欲しいと願っている。

 さて、孫がアメリカに行ってしまっているが、国語という言葉を記載したので考えたいことがある。

 昨夜、テレビでニュースを見ていたら、現地取材の記者のコメントが放映されていた。

 「はい、こちらイラクの**です。こちらではですねえ、あちこちでですねえ、まだまだですねえ、爆破事件がですねえ、発生しています。アメリカ軍ではですねえ、その対策のためにですねえ、徹底したですねえ、対策をですねえ・・・」

 もうお分かりだろうが、これが日本の放送局が派遣している記者の報告なのだから情けない。

 この「ですね調」は、かなりの記者たちが用いるバージョン。彼らは大学を卒業している筈。それがこんなレベルとはお笑いの世界だし、放映している放送局の制作スタッフのレベルも計り知れる。

 言葉の伝達は、重要だ。「外国語を学ぶ前に国語をしっかり勉強しろ」と説かれた国文学教授がおられたが、最近のテレビ世界の国語は羞恥のレベル。

 そんな中、新聞を見ると「竹内 均」先生のご訃報が報じられていた。NHK教育テレビで何度も拝見した先生の講義、それは、説得力のあるお言葉で印象に残っている。

 プレート、マントルなんて言葉が存在しているのを初めて知ったのも先生から。講義をされる教授の評価のひとつに「眠たくなるか、ならないか」というのがあるが、竹内先生の講義を受けた学生の目と耳は、きっと鮮明に開けられていたと確信している。

 ここに、竹内先生のご冥福を祈念しながら合掌申し上げる。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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