2003-08-21

オリジナル追憶ビデオ    NO 522

数日前、私の孫がNHKのBSテレビに出ていた。ビデオに収録したのは当然だが、30人ぐらいも子供が登場する番組、初めは何処にいるかさっぱり不明だった。

 しばらくするとカメラが動く。やっと発見したのは大きな縫いぐるみの隣の席。そこからぐるぐる回り出したら、また分からなくなった。

 しかし、とんでもないことで目立った光景が飛び込んで来た。全員が輪になって回っている時、レギュラーの「お兄さん」に押されて1人だけコケ、助けられていた。

 仕事に誇りを持つ葬祭業のプロだと自負する私だが、孫の存在になると好々爺に陥ってしまう最近。間違いなく初老で人生の黄昏に突入していることを実感している。

 さて、先月に担当した葬儀の喪主さんが、事務所にやって来られた。

「実は、お願いが」とお話しを伺ったが、私の恐れていたことが、また発生した。

 それは、通夜と葬儀で放映した故人の追憶ビデオのこと。生でナレーションしたものを後日に吹き込んで差し上げたもの。

 「お願い」というのは、参列されていたご親戚が法要用に制作して欲しいとのこと。

 喪主さんと親戚の方は、ナレーションを生で語っていたことを今日までご存知でなかったことも分かったが、後方で司会を担当する場合、考えられないことではないだろう。

 ご親戚の方が、次のように言われたことを拝聴した。

 「大阪とは進んでいる。あんなものがその日に出来るなんて。あの人生ドラマみたいな物語。専門の作家が存在している筈。随分と費用が掛かっただろう?」

 興味を覚えたので伺ってみたが、その親戚さんが想像された価格は実際の約10倍の開き。それだけ付加価値を感じていただけたのだから悪い気はしないが、ここに問題があることも事実。

  人生ドラマ的な原稿を創作する時、何より重要なのはヒアリングによる取材だが、表情や声のトーンで思いが伝わるもの。薄っぺらい紙に一方的に書かれた内容 だけでは、美辞麗句で誤魔化すレベルでしか不可能となる。それでも一般的にはご満足には至るが、プロとしての誇りが許さない。

 弊社の制作した追憶ビデオには、社名と共に、その「文責」としての私の名前が入力される。

 ナレーション創作・ナレーター 久世栄三郎
 BGM 久世栄三郎 監修 オリジナルCD「慈曲」

 そんな文字の登場するビデオ。それは、弊社にしか不可能なオリジナルビデオでもある。
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