2002-12-30

思い出した「献体」の葬儀    NO 299

昨日、事前相談での「献体」に関する家族の怒りの問題を書いたが、昔、私が担当した葬儀のご出棺時に、大学病院の関係者に対して、喪主さんと説教をしたことがあるのを思い出した。

 その葬儀は、故人の崇高なご遺志で「献体」という形式で進められ、ご遺族の強い要望から葬儀と告別式を普通に行い、その終了後に大学病院に向かうというシナリオが決められていた。

 つまり、ご出棺は、霊柩車ではなく、病院側から用意された寝台自動車で病院に直行するということであった。

  導師が引導の儀式を終えられ弔辞となった。医学への貢献ということから管轄大臣の感謝の言葉が代読され、続いて、故人の崇高な精神を称賛するナレーション を担当した私は、式場内に、いつもと異なる厳粛なムードが生まれている思いを感じ、この葬儀式が意義ある「かたち」で進められていると確信していた。

 やがて、お柩の蓋が開けられ、ご遺族や参列者のお別れが始まる。

 「あなた、立派よ。献体されるなんて、あなたらしいわよ。尊敬するわ」
 「七日、七日の法要も、ちゃんとするからね。帰って来るまで待ってるね」

 そんなお言葉も聞こえてきた。

 そして、ご出棺前の喪主さんの謝辞。いかに本人の意思と言えども、家族会儀で何度も論議を交わされたという経緯を話され、このように多くの方々に見送っていただく葬儀が出来たことに喜びを表され、当家の孫、曾孫達への誇りとして伝えますと結ばれた。

 さあ、ご出棺だ。病院側が手配された寝台自動車が着けられる。助手席から事務関係者と見られる若い女性が降りてきた。

 聡明そうな感じのする女性が喪主さんに言葉を掛ける。

 「崇高な故人の意思を大切にいたします。心から感謝申し上げ、医学部学生、病院関係者を代表してお礼とさせていただきます」

 彼女は、その後、書類らしき物を手渡し、1年半後ぐらいにお骨をお返ししますと告げていた。

 ここから問題が起きた。事件の当事者となったのは、寝台自動車の運転手。あまりにも見苦しい作業衣を身に付け、ネームプレートには葬儀社の社名が記されていた。

 親戚の人達が、お柩を運ばれてくる。それを車から降ろされた台車に乗せられる時の言葉遣いや態度が横柄で、親戚の方々にやるかたない憤懣の表情が感じられ、「責任者は、誰だ」との発言が聞こえた。

 このままでは、大変なことになる。私は、感謝状を代読された方と挨拶をされた女性を呼び、少し離れたところで喪主さんとの4人で話し合った。

 その内容についてはお察しがつくだろうが、喪主さんのお怒りもかなり強いものであった。

 参列者の存在がある。注目を浴びているし、その上に交通渋滞にまで及んでいる。これ以上は難しいと判断した私は、そこで勝手ながら言葉を挿んだ。

 「後日、改めて謝罪にお越しください。『終わりよければすべてよし』という言葉がありますが、それを壊してしまったことは事実です。ご遺族のご心情だけではなく、参列者の皆様にも、献体に対するイメージダウンを与えてしまった責任も感じて欲しいものです」

 崇高な精神を受け入れる姿勢、そこに最も重要なことは、受け入れる側の崇高な心。マンネリの作業なんてとんでもない話。白衣か略礼服のマナーさえ欠如する葬儀社。それが病院指定とは情けないレベル。

 お見送りした後の、皆さんの怒りの声が伝わることを願って止まなかった出来事だった。
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