2002-12-19

銭湯通い   NO 288

私は、銭湯が大好き。現在、大阪の銭湯の入浴料は、大人が360円。これでサウナ、スチーム、薬湯、電気風呂などが利用出来、広い湯船には噴射水流まで設備されているのだから素晴らしい。

 この30年間で、全国の銭湯が約1万件も廃業し、6千数百軒になってしまったそうで寂しい話である。

 幼い頃、オヤジに連れられよく通ったものだが、単独で行くようになったのは、料金が小人から中人になった頃。それが無性に嬉しかったことを覚えている。

 私の自宅のすぐ前が銭湯。腰痛の前兆を感じると電気風呂に入ることにしているが、初めて挑戦した時には度胸が要ったもの。それが今では何よりの天国。それだけ歳を重ねたことにもなるだろうが、現在、毎日通わなければならない状態。

 常連客の大半は、私が葬儀屋のオヤジであることを知っている。
湯船の中で交わす会話には「わしが死んだら頼むで」が最も多いが、天国で葬式の話をしているみたいで面白い。

 地元の方の葬儀にあって、故人の生前に何かの交流があったという事実は、遺族にとって「癒し」にならなくても「慰め」にはなるようだ。

「ご生前、何度か電気風呂でご一緒しました。私に手術の痕を見せられたこともありました」

 そんな思い出話は何よりの慰めの「薬」。ナレーションを創作する取材の際にも、悲嘆の遺族が心の扉を開けてくださるノックの役割につながってくる。

 一方で、湯気の充満した空間の中で、過日に葬儀を終えられた喪主さんとお会いすることもある。

「先日は、どうも」

 互いが裸で「サマ」にならない構図。送られて極楽に逝かれた故人のお顔を思い出す。

 孫が里帰りした時、銭湯に連れて行くのが現在の至高の極楽。しかし、困る問題がひとつある。

 それは、刺青を入れた方の存在。背中一面に立派な彫り物。それを目にした孫の表情が固まる。

「おじちゃん、これ、なにぃ?」 そんな質問をしに行かないように目を離せないが、パンダやアンパンマンの刺青がどうしてないのだろうか。

 刺青で思い出したが、私がこの仕事に従事した頃、あるお屋敷で行われた葬儀で不思議な体験をしたことがあった。「納棺は、家族で行います。お柩だけ持ってきてください」と言われたのである。

 そこに秘められた事情が、実は刺青であったことを知ったのは、それから数日後。
これは、近所の皆さんの誰もが知っておられたことだったが、その方は、趣味で彫っておられたということで、それは見事な観音様であったそうだ。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
携帯で下のQRコードをスキャンするか
 または
携帯に下のURLを直接入力します。
URL http://m.hitorigoto.net