2002-12-18

感動の「ご謝辞」   NO 287

NO 285の葬儀で、久し振りに感動することがあった。

導師、法中が退出され、オリジナル奉儀が終わった後、司会者である私が紹介申し上げ、喪主さんのご謝辞が始まった。

 参列者に対するご弔問、ご会葬の御礼から始まり、ご生前のご交誼への感謝があり、やがてご自身のお母様に対する思い出をお話しされた。

 幼い頃のこと、お孫さんと過ごされたひととき、教育されたこと、大きな愛情に育まれてきたことへの感謝など、お言葉が続けられるに併せ、拝聴していた方々の中からすすり泣きが聞こえ始める。

 少し離れて立っていた私も「ウルウル」し始め、悟られないようにと、背面の供花の列にあった隙間に身を寄せたが、耳から伝わる「愛」の言葉を遮断することは不可能で、目薬を注した状況に陥ってしまい、「これは、まずい」という心境になってしまった。

 やがて、喪主さんは、ご祭壇に飾られたご遺影に向かわれて、「お母さん、本当に有り難う」と叫ばれた。

 そこで式場内に嗚咽の声がピークに達した。私もダメだった。プロとして最悪の方向へ転がり始めている。

 ご挨拶は、もうすぐ結びの言葉を迎えられる。それまでの限られた短い時間の中で、ご謝辞を終えられた後のフォローをどうするべきかを考慮しなければならない。
<きっと、プロとしての表現能力が愕然とするほど低下してしまうだろう>

 そんな覚悟をしながら拝聴していたが、フォローのシナリオだけは完成していた。

 そして、喪主様のご謝辞が終わった。マイクが私に返却され、私は、フォローの言葉を発し出したが、着席されている方々のご表情が目に入った瞬間、予定していた言葉と全く異なるコメントで進めてしまうことになってしまった。

 マイクを通す声は、かなりトーンダウンしていた筈。内容は、牧師さんや神父さんが行われる「お説教風」になっている。おそらく、参列されておられた皆様も初めて体感された不思議なひとときになってしまったことだろう。

 スタッフ達が喪主さんから伺っていた「お母様の人生」取材ノート。
葬儀当日のナレーションを草稿していた深夜のことを思い出した時、私の頭の中にはノートのすべてのページが鮮やかに甦ってきて、それらは拝聴した喪主さんのご謝辞のお言葉と見事に被さってきた。

 70年間の人生の幕を静かに閉じ逝かれたお母様。「一人っ子」であられる喪主様のご立派なご挨拶で結ばれ、あなた様のご終焉の儀式が見事に終えられたように思います。

 フォローの言葉を終えた。式場内にスタッフが入り、お別れの準備が始まった。

 今回のご葬儀、いくつか反省点があったが、大切な故人の人生表現にあって、スタッフの取材能力がアップしたことを感じ、少しだけ嬉しいことだと思っている。
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