2002-11-04

振り返ってみて     NO 246

私の人生に大きな影響を与えていただいたのは、小学校の5、6年生の担任の先生であった。

 先生は、今で言われるところの音響マニア。当時の電蓄をご自分で組み上げてしまわれるほどで、クラシック音楽に造詣深い方だった。

 5年生の夏休み、数人の生徒が指名を受け、学校の放送設備システムを構築することになり、各教室のスピーカーの取り付けから放送室器材の操作まで手伝うことになったが、これは言葉で表現出来ないような貴重な体験ともなった。

 やがて9月の新学期。朝、昼。下校時の放送が始まり、私も放送部員の一人として何度もマイクを担当する機会を与えられたが、その当時から、マイクでのオシャベリは、他の仲間と異なっていたように思う。

 中学生の頃、ステレオに強い興味を抱き、オヤジを口説き落として高価なシステムを揃えて貰ったが、この時の口説きのキーポイントにしたのは、年末恒例NHKの除夜の鐘。その録音をするということで、鐘の音が好きだったオヤジに対して描いた策略であった。

 オープンリールの録音機を2台購入し、興味本位に様々な遊びを試してもみた。

 自分でギター伴奏を片側に入れ、それを再生しながら旋律をミキシングするなど、多重録音を繰り返しながら10人ぐらいのパートを次々に被せ、下手な演奏でも友人達が驚く構成もやっていた。

 当時は、もちろんFM放送もなくAMのモノラル放送のみ。確か朝日放送と毎日放送だったと記憶しているが、2台のラジオ受信機を用意し、それぞれが左右パートを放送。聴く側にはステレオで流れるという思い白い試みが何度かあったことも覚えている。

 そんな頃、府の関係で「若人の集い」というのがあり、多くの青年団体がパーティーの中で趣向を凝らすという催しがあった。

 我がグループで白羽の矢が立ったのが私。マントヴァーニーの華麗な音楽をバックに開催歓迎のナレーションを吹き込み、時報の音と同時に放送が始まるという仕掛けで大喝采を浴びた時の喜びは一入だった。

  頭の回転を訓練しながら健康を保つには、「歩いて足の指を鍛えること」と新聞に掲載されていたが、そこでゴルフを始め、手の指先を動かすことがボケ防止で あることを知り、ハモンドオルガンを習い、50歳の手習いで再びピアノと囲碁に挑戦してきたが、多忙を極め、ゴルフも出来なくなってしまった今、私の最大 の癒しになっているのは音楽と孫の存在。初老とは言え、日野原先生のお言葉に励まされ、新老人と呼ばれる世界に入って「行きたい」と願っている。

「行きたい」とは「生きたい」なのである。仕事のシナリオ創作にあって、多くの他人の人生黄昏を拝聴してきた私。今、孫が小学校に入学するまでは「生かされよう」と努力するつもりで、少しずつだが歩くことに勤しんでいる。

 同年代の多くに孫が存在し、きっと爺ちゃん、婆ちゃんとよばれているだろう。
 ゴルフが私の生き甲斐とという友人がいるが、彼が、「孫と一緒にラウンドすることが夢」と言ったが、素晴らしくて憧れる夢である。
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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