2002-09-15

挽  歌    NO 196

高齢を向かえ、人生の黄昏を感じる頃、夫婦互いに「伴侶を失ったら」との、どうしようもない心境に陥る時があるもの。これらは子供が存在していても、核家族が当たり前の時代の背景に生まれた悲劇でもある。

 夫婦だけが暮らす家。そこで伴侶を失ったらどうなるのだろう。非日常的な悲嘆の心理から立ち直り、普通の生活を送ることになるまでは簡単なことではなく、精神に異常を来たして「鬱状態」になったり、自殺をされてしまう不幸も起きている。

  考えていただきたい。家の中を見つめる。家財道具に触れていた伴侶の姿が見えてくる。自室にいなかったとしても何処かにいる。今日は旅行やお出掛けという こともあっただろうが、その相手が地球上に存在しなくなり、この家に絶対に帰ってくることのない寂しさは想像を絶するものであろう。

 昨日に送らせていただいた方も、きっと、そんなご心情に襲われておられたものと拝察しながら、お子様の存在のない人生の黄昏は、想像を絶する孤独感もあったことだろう。

 今年の桃の節句の日に、奥様のお別れ会がホテルで行われ、私が司会を担当したが、式次第の中でご主人が綴られた「奥様への思い」は、愛にあふれた感動の文章で、素晴らしい「男の挽歌」として、朗読した私の脳裡に今も焼きついている。

 それだけに、ご主人が過ごされた7ヶ月間の壮絶な悲嘆のご心情が理解出来、今回は、何とも表現出来ないような思いで進行を担当してきた。

 そんな中、日本トータライフ協会の掲示板に、「一人暮らしの侘しさよ」と題する片山
雄峰先生が81歳の誕生日に綴られた「詩」が記載されてあり、故人を偲び、捧げる詩とさせていただく。


妻を憶ひて独り言

愛怨無限人知れず  別離乃涕に頬ぬらす  前世の因果は知らねども

 不運の星に生まれしか  難病の苦難に耐えて十六年  喜寿を迎えて一人逝く

夫婦は二世の契りとぞ  俺を残して一人逝く

 行方星なき大空乃  何処の星に居るのやら  俺は此の世に暫くは

   残せし仕事まだあるぞ  あの激烈の大戦に  南溟駆けし幾千里

    砲煙弾雨かいくぐり  神仏加護のお陰にて  武運に恵まれ帰り来て

     まだまだ生きて頑張れと  夢にお告げの神仏に  吾れ百歳までに長生きし

        子や孫達の生きざまを  見届けのちにあと追わん

  たまに夜空を仰ぎ見て  お前の星を探せども  判らぬままに酒を呑み

   うたたねしつつ夢枕  今宵はどんな夢で逢ふ  一人暮らしの侘しさよ
久世栄三郎の独り言(携帯版)
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